見知らぬクラスメイトに、和波は大きな目を一層大きくし、首を傾げた。彼女の隣の席だったはずの男子は、さも当たり前と言う顔をして一番前の席にいる。

今、和波の隣りには栗毛色のおさげを二つ垂らした少女が平然と座っている。クラスメイトと嬉しそうに談笑しながら。

「だあれ?」

こっそり、後ろにいる黒猫ではなく前の席の友人に尋ねる。振り向いた友人は、和波と同じように首を傾げた。

「んー、誰が?」
「わたしの、隣の」
「矢次郎さん?」
「え?」
「和波の左隣でしょ?」
「うん…」
「矢次郎香杏さん」

二度目の答えに、和波は納得がいかないと表情で訴えつつも、こくりと頷いた。どうにも要領を得ない。見知らぬクラスメイトに、誰も違和感を抱いていないようだ。今日やってきた転校生だろうかとも考えたが、周囲の雰囲気がそれは違うと告げている。ぎこちない空気などなく、クラスメイト達は栗毛の少女と楽しそうに談笑している。それはどう見ても、一朝一夕で生まれるような親密さではない。

「そういうことになっているんだよ」

誰にも認識されていない、黒猫の孤独な鳴き声がする。思わず振り返ってしまい、和波は慌てて周囲を見回すフリをした。どちらにせよ、挙動不審な姿でしかないことに彼女は気付かない。

ぐるりと教室を見渡す中で、香杏がこちらを見ていることに気付く。それも、先程つい和波が見てしまった箇所を凝視しているように見えた。見るまいとしていたのも忘れ、和波も豊日を見る。肝心の黒猫も、香杏を見つめ返しているようだ。

「そういうことって?」
「畜生ごときが我々に関わるなんて…」

嘆くような黒猫の言葉は和波の耳に入ってくる。

「豊日、どういうこと?」

唇を閉ざしたままそう問えば、豊日は黙り込んだ。つい、口を滑らせてしまったのだ。豊日はいつでも和波を蚊帳の外に置きたがる。何も知らないままでいて欲しいのだ。

しかし、そんな真意が和波に伝わるわけもない。疎外感からくる寂しさと、ほんの少しの苛立ちが彼女を支配していた。少女の問い詰めるような厳しい声に、豊日は何も言えずにいた。何も無い空虚を睨みつける和波に、友人は首を傾げる。

「…さっき、寝屋川から連絡があった。そいつは化物だよ、でも、君を護衛してくれる」
「…いっつも二人だけで話を進めちゃうね」

唇が尖るのを嫌でも自覚する。拗ねた口調になってしまったが、和波は気にしなかった。昔から不満ではあった。いつも当事者である彼女を無視し、物事を進める彼らに、苛立ちに近い感情を抱くことはこれが初めてではない。

二人の会話に、わずかにかすれた高音が混じる。

「いやァ、先輩を責めちゃあ、いけんね。そこかしこには、大人の事情ってモンがあらァ」

和波は栗毛のクラスメイトの方を見る。先程と変わらず、彼女は席を囲む女生徒と楽しそうに会話していた。しかし上品に微笑むその姿がどこかいびつに見え、口元のホクロまで歪んで見える。

「嬢ちゃんも一応、こっちの言葉が喋れるんすね。でも駄目だなァ、フェイクが全然なってない。いかにも喋ってますって顔しちゃア、あかんね。ほら、あんたのご学友が不審がってる」

言われて、和波は目の前の友人の顔を見た。彼女は首を傾げたままだった。

「ごっ、ごめん。少し、ボーっとしてて」

張りぼてのような、取ってつけたような言い訳だったが、友人はすんなりと受け入れたようだ。

「なーんだ。急に変なこと言うし、すっごい挙動不審だったから心配しちゃった。でも、平気?授業受けれる?」
「うん、だっ、大丈夫だよ。ごめんね?席、前のと勘違いしちゃった」
「あー、なるほどね。うちのクラス席替え多いもんねぇ」

友人はその言葉に納得したようだった。何度も首を縦に振り、担任である寝屋川の文句を言い出す。

「あづさ先生、顔はいいけど、なんか、どっか、怖いんだよね」

その言葉に、他の女子が口を挟む。

「ね、ね。なんか、なんだよねぇ?他のクラスの奴らに羨ましいとか言われるけど、ぶっちゃけそんなに良いことないってか」
「ねー?全部が完璧すぎて逆に怖い、幻滅」
「逆にね?逆に」

そう言ってはしゃぐ友人たちの話を黙って聞く。和波もその輪に入ろうかと思ったが、うっかり口を滑らせてしまいそうで怖かった。

彼女達が評した寝屋川の評価は、あながち的外れではないと思う。彼はとても親切にしてくれる、いつだって優しい。和波だけではない、生徒達にもだ。

けれど、それはどこか温かみに欠ける。義務的で、機械的過ぎる。細く、長く、節くれだったあの手が、どこか恐ろしいもののように見えるのだ。

きっと感情のようなものが寝屋川の中から見つけ出せないせいだ、と和波は思った。

「なァんか、お嬢ちゃんてば自分の世界入ってらっしゃる?」

再び高音が響く。は、と意識をそちらに向けそうになるが、すぐに取り繕った。傍目には友人たちの会話を静かに聞いているようにしか見えないだろう。きっと、香杏も席についたまま、周囲の友人たちと談笑しているはずだ。頭の中で響く声に良く似た肉声が、先程から和波の耳に入ってきていた。

「うん、ほんのちょっと言っただけで、大分上達したのう。さっすが、女王さんだ」

素直に感心したような声だが、和波は素直に喜べなかった。

「その…言い方、止めてよ」
「なぜ?あっしらにとって、あんたは女王さね。あんたが否定しようが、しまいが、今は何も変えられやしない」

和波の神経を逆なでする、意地悪そうな笑い声。かすれたそれはまさに魔女のそれだ。和波は何も言えず、押し黙った。彼女の言う通りだ。何一つ言い返せなかった。

気配だけで、豊日も気分を害したのが分かる。おどろおどろしい冷気が豊日からあふれ出ている。

彼女も気付いているだろう、そう思い、和波はちらりと香杏の席の方を見た。先程から響く声とはあまりにも違う、あまりにもかけ離れた、上品そうな微笑みが見える。

「おっと、止してくださいよう。先輩も、あの旦那も、気が短くていけない。あっしはね、お嬢ちゃんのボディガードですぜ?意地の悪さは性分じゃけえ、悪気はあっても悪意はなかとよ」

そう言って、不意に香杏はこちらを向いた。どきりと、和波の心臓が跳ねる。一瞬だけ、彼女の瞳が紫色に輝いて見えたのだ。

しかし、それを確信に変える程の時間は無かった。がらりと教室のドアが開いたのだ。教師かと思い、生徒たちは条件反射でそちらを一気に注視する。和波も、香杏も例外ではない。

しかしそこにいたのは教師ではない。クラスメイトの一人が廊下から顔を出し、気だるそうに声を張り上げた。

「授業変更だってー。1限と3限チェンジ」

この一言で、クラス中は先程とはまた違ったざわめきが広がる。

「3限ってなんだっけ?」
「たいく」
「げぇ、まじか。着替え行こー」
「うっわ、最低。和波、うちらも行こっか」

体育着を持って、和波は友人と一緒に教室を出て行った。自身も、友人も体育は苦手な科目だ。憂鬱な気持ちを友人と分け合いながら、和波は更衣室へ向かう。

ふと香杏が気になり、同じようにぞろぞろと出ていくクラスメイトの波の中を探したが、見つけられなかった。