体育着に着替えた二人の少女は、ストレッチをしながら小さな声で話をする。和波とその友人が更衣室に向かう途中で、豊日は校外を見て回ると言って姿を消してしまった。

「矢次郎さんって…席順とか、二人組のペアとか、そういうの…自由にできるの?」
「それくらいだけどね」

準備運動のペアとしてあてがわれた相手を見て、和波は諦めにも似た笑顔を見せる。薄々勘付いてはいたのだ。ボディガードを自称する以上、自身の側にいるのだろうと。席が隣だというのも、露骨だ。

「あ、一定の距離は保つよ?あなた、すっごい窮屈そうな生活してるみたいだし」

和波の心情を読み取ったかのように、さらりと香杏はそう告げた。嘘だ、と直感で和波は思った。きっと今、後ろで口元のホクロが歪む程笑っているのだろう。

「ね、ねえ…その、口調…」
「ん?これ?おかしいかな?」
「違う…、えっと、さっきの…」

ぐっと香杏が和波の背中を押すと、うっと腹の底から声が漏れる。開いた足がぴんと張り、足の付け根が軋むのを感じた。苦しそうにする和波を見て、香杏がくすくすと笑った。

「ごめんごめん。さっきのって?」
「あっちの言葉…」

香杏が力を抜いたのを確認してから、和波はそう答える。痛みはないが、今にも足がつりそうだった。

「あっち?…ああ、うん。あっち」

思案するような素振りを見せたが、すぐに合点がいったように言葉を繰り返した。

「どこの、ほっ、方言なの?」
「うーん」

しばらく、香杏は言葉を探すように押し黙った。その間も交代し、次は和波が彼女の背中を押す。

「色々かな。あたし、転々としてるから」
「そっそうなの?」
「うん。仕方なくってのもあるし、性分なのかなぁ」

自分でも良く分からない、と言った口ぶりだ。土地の言葉を、知らず知らずに身に付けていたのだろう。

「いいなあ…」

そう呟いた和波の声は、うっとりとしたものだった。背中を押す力が弱くなるが、香杏は何も言わない。きっと、どこかへ出かけることも少ないのだろう。過保護な二人を見た今では、それが安易に想像できる。

この街が檻であることは香杏も分かっていた。

けれど、箱では無い。隙間を縫うように、自ら檻の中に滑り込んでくる輩だっているのだ。香杏だってそうなのだ。全てを防ぐことなどできやしない。全てを遮断できるはずがなかった。

寝屋川や豊日だって馬鹿では無い。そう言う自覚があったから、香杏の申し出を渋々ながら受け入れたのだろう。

人間が集団でとてつもない力を発揮するように、化物だって結託すれば恐ろしい力を発揮するものだ。香杏はそう思っている。個々の力が強いだけ、それは脅威となっていく。

「おかげで、顔は広いよ。今も色んな奴に声かけて、パトロール隊結成してるんだから」
「あ、ありがとう…?」

わずかに聞こえた疑問符に、香杏は後ろを振り返る。思わず、険しい顔になってしまった。そう気付いたのは和波が怯えるような表情を見せたからだ。

「あなた、どこまで教えて貰ってる?」

えっと、と呟きながら和波は今にも泣き出しそうな顔で答える。

「あの、黒いのが…わたしを狙ってるって、こと」
「うん。他は?」

優しい口調を意識しながら香杏は続きを促した。

「あとは、えっと…そう、わたしが、おばけの…じょ、女王だってこと」

思わずため息をつきそうになる。当事者が何も知らないとはどういうことだ。しかし、香杏はぐっとため息をこらえた。過保護の具合を計れてちょうどいいじゃないか。そう思うことにする。

周囲の目を気にするように、二人はストレッチを再開させた。

「なんにも、知らないって…思ったでしょう」

不意にぼそりと囁かれた声に、香杏の背筋が凍る。ねっとりと体中にまとわりつくような寒気だ。

おどおどした口調の中に、有無を言わさぬ何かが込められている。大人びた艶めかしさと、子供のような無知。それを同時に感じた香杏は体を横に倒したまま固まってしまった。

「いいの。わ、分かってるから…。二人とも、教えてくれないの、ずっと、昔から…」

取り繕うように香杏は体を元に戻し、再び前に倒しだす。それを補助する和波の腕には、大した力が入っていない。

「だからね、教えて欲しく、て…」

そこまで彼女が呟いて、ようやく香杏は言葉を発することを思い出した。

「無理だよ、無理無理。ぽっと出のあたしが教えるのはまずい」
「だっ、だめかな…?」
「だめ」

ぐ、と和波の手に力が籠るのを感じる。香杏はぺったりと地面に体を押しつけながらはっきりとした口調で答えた。

「あの二人がどうして教えないのか知らないけど…だからこそ、あたしからは言えない」
「そっか、そうだよね…。…わたしが、子供だから教えてくれないの、かな…?」

体育教師の鳴らした集合のホイッスルに、これほど救われたことはないだろう。香杏は今まで溜めていた分のため息を一気に吐き出した。

彼女の問いに答えるには、香杏はひねくれすぎていた。