Kensington:デウス・エクス・マキナに別れを

2008-09-27
Kensington

Kensington:デウス・エクス・マキナに別れを

コツコツと甲高いヒールの音がする。ドアが開く音がして、医師がイスを回転させて振り返ると、そこには女性が立っていた。高級そうなスーツを着込み、神経質そうな顔を醜く歪ませている。化粧をして美しく着飾っている人間も、ここでは醜悪さをお披露目するだけだった。医師はカルテをそっと眺めた。この女性は 前にも何度か来ている。それなのに、彼はその顔に見覚えがなかった。

「どうですか、具合は」

完璧な社交辞令だ、と医師は内心苦笑しながら声をかけた。女性はフルフルと首を何度も横に振った。

「全然、全く。色々なものがまだ溜まっている気分です。吐きだしてしまってもよろしいかしら?」
「どうぞ。お好きに」

医師がそう言って爽やかに微笑むと、安堵したかのようなため息がもれた。

「私、ずうっと我慢してきたんです。たった一人で築き上げてきた地位をよおく理解していました。足元を見ると、そこがどんなに高いか分かるのです。誰かにもらした一言がそれをどれだか揺るがすか!先生もお分かりでしょう」

「分かりますとも、分かりますとも」

医師が半ば投げやりにそう言ったのを気にする様子もなく、女性はヒステリックに話しだした。年齢の割に、口調が幼くなっていく。

「あそこは本当に便利だった。お金はすごくかかったけれど、それだけ。アタシの目の前からいなくなるんだ、消えるんだって思えばすごく良心的な値段に見えた。罪悪感は無理矢理に殺した。犯罪にならないのなら、いくらだって殺してやった!だって、そうじゃなきゃアタシがおかしくなってた!狂ってた!…世間に、常識に、殺されていました」

小さくつぶやかれた最後の一言は、とても冷静に吐かれた。医師はカリカリと何かをメモしていく。女性はうつむき、長い沈黙をおいて再び語り出した。口調はまた幼くなっていた。まるで、当時に戻ってしまったようだ。

「産まれてね、ぐにゃあってしてるあの子を見て、最初に感じたのは愛情だった。ろっ骨のあたりからじわっと暖かいものが出てきたの。2人とも小さくって、アタシが守らなきゃいけない。本気でそう思った。本能だった。お姫様を守る勇者の気分。育てるのは正直辛かった。イライラしたし、きっと叫んだこともあった。何でアタシが。めんどくさい。いつもそう思ってた。それでも、育て続けた。少しずつ見える2人の違いが嬉しかった。楽しみだった」

「分かりますとも、分かりますよ。とても」

カリカリとペンが走る音だけが聞こえる。

「色違いの服を買って、2人のネームプレートを作るのも好きだった。これはあの子、こっちはあの子…選ぶのが楽しかったの。言葉を覚える段階になって、やっと気付いた。あの子、一緒だった。全部。全部!交互に一つの文章を言うこともあったし、全く同時に話すこともあった!1人の子供が話すみたいだった。何するのも一緒。ワガママは言わない。でも鏡越しに一人で会話しているのを見た時はゾッとした。鏡の自分を、まるで片割れとでも思ってるみたいで。2人ともそうしてるから、4つ子みたいで!違和感がないの。異様な光景なのに。そう思うアタシにもゾッとした!」

女性はうつむいたまま、大きな声で叫んだ。医師はそれをなだめようともせず、そのまま放っておいた。カリカリと、ペンを走らせることを優先させる。

「試しに、1人だけ名前を呼んだの。そうすると、2人が同時に返事をして、アタシの足元へやってきて、大きな真ん丸の目が4つ、アタシを覗き込んだ。怖くて怖くて仕方がなくって、ある人に相談したの。どんなにあの子が恐ろしくて奇怪で異常な存在なのか、一晩かけて語った。次の日にはアタシ、一人ぼっちの双子の手をつかんで、大金抱えて、あのマンションの前にいた。バイバイなんて言わなかった!言えるはずなかった!存在そのものも殺しちゃった。すごい残酷だと思う。人でなしだって。でも、あの子も人でなしなのよ。不気味で、気味が悪い」

そう言うと、女性は大人しくなった。医師は書き続けながら、あまりにもその沈黙が長かったので声をかけようとした程だ。しかし、医師が声をかけるよりも先に女性が言葉を発した。いつの間にか顔を上げ、その眼にはどんよりとした鈍い光が残っている。

「私はひどい母親でした。きっとあの子たちも忘れてしまっているでしょう。構わないと思います。それでいいのだと。ひどいことをした私はひどい目に遭うべきです」

「あまりそう自分を追い詰めないで」

メモする手を止めて、医師はそうはっきりと命令した。しかし、女性は小さく首を横に振った。きっぱりと拒絶してみせた。

「でも、私の最初で最後の愛情である名前だけは忘れないで欲しいと、そう思っています。名前を付けたあの瞬間だけは、確実にあの子たちを愛していたんですから」