Kensington:土砂降りの嘘の裏
ワンピースのような雨合羽に、ぺっとりとした茶色い髪はどこか緑色のようで汚らしい。鼻はつぶれ、三白眼の目はとにかく離れている。唇は薄く、開いた口元からは真っ白な歯が出ていた。うう、とうめき声にも似た声をあげるの彼女はライニーと言った。
「また雨、またもや雨」
低く、かすれた声には少女らしさが残っていなかった。マンションの軒下で、無表情のライニーは恨めしそうに空を見上げた。どんよりとした雲は暗く重く、何よりも黒かった。
「いつも雨、常に雨」
ばしゃりと水溜りを蹴りあげたのは真っ黒な雨靴だった。
「雨以外を知らない。雨以外を見たい」
ゲラゲラと大声を上げる。
「見れるわけがない」
そう言ったライニーの顔には嘲笑が覆い尽くしていた。すぐさま無表情に戻った彼女はふらふらと左右に身体を揺らす。
「ひどい。ひどいよ」
ぐらぐらと崩れそうなタワーを演じるかのようにライニーは身体を左右に揺らし続ける。
「雨、雨だ」
声にも感情が籠っていなかった。
「帰ろう。あのいわくつきのケンジントンへ」
「雨しか降らない悲しい街だ」
彼女の横でそう言ったのはコルサコフだった。真っ白な男。出かけようとしたのか、その手には透明なビニル傘が握られている。ライニーは彼の方を一切見ない。どうでもよかった。
「でも、本当にそうかな。君、天気予報は見ているの?」 「見てない」
「じゃあ、今度から見るんだね。晴れの日に出かければいい」
ゆらゆらと揺れていたライニーが動きを止める。
「無理だ」
「どうして」
「カエルは太陽をみない」
そう言ってライニーはむっつりと黙りこんだ。コルサコフの「どうして」には決して答えない。ざあざあと一層雨が激しくなる。一瞬だけ空が明るく輝いた。雷だ。それが合図になったように、ライニーはぽつりと無感情な声を出した。
「小さな頃、カエルをみた」
「へえ」
「ぎょろりとした大きな眼に、ぬるりとした皮膚。あのフォルムを美しいと思った」
「ふうん」
「わたしもああなりたいと言った。ママにも、社長にもお願いした。わたしはモデルになりたいんじゃない。カエルになりたいんだって」
へえ、とコルサコフが言う前に雷鳴が返事をする。
「お医者様は私をカエルにしようとしてくれた。そしたら沢山責められた。悪い魔法使いだって」
何の感情も込められないまま、淡々とライニーは語っていく。雷が光るたび、彼女の淀んだ瞳もわずかに輝いた。
「お医者様はいっぱい罰を受けた。わたしをカエルにしてくれたのに。だからわたしもここにきて罰を受けるの。太陽をみないの」
「そうかあ」
のんびりとした声でコルサコフが言った。ビニル傘をばさりと広げる。
「じゃあ、僕は行くね。最近、夢を見ていないんだ」
返事を返すこともなく、レイニーは軒下に立ち尽くしている。
「ぜーんぶ嘘だと指摘した方が閉幕は分かりやすいかな?どうかな?」
雨の中、コルサコフはくるりと華麗に振り向いてそう尋ねた。ライニーは歯をむき出しにしたまま、じっとコルサコフを見つめた。やはり、何の感情も見当たらない。
「やめて」
低い声でライニーが言う。「やめて」
満足そうに彼はほほ笑むと、「そうかあ」とだけ返した。傘で雨をしのいでいるものの、彼の両肩はじわじわと雨に浸食されていく。
「雨しか降らない悲しい街だ」
くるりと、再び綺麗なターンをしてみせる。そしてコルサコフはどこかへと消えていった。雨の中、もう一人のケンジントンの隣人は、ぼんやりと空を見上げている。先程のやりとりなどなかったかのように。
「でていってしまったよ!」
まるでドラマのワンシーンでも演じるかのように、朗々とした声でライニーはそう叫んだ。