someday:2,サムディ狂博士の経過観察

2011-11-11
someday

someday:2,サムディ狂博士の経過観察

馬車から静かに降り、白衣をひるがえして博士は周囲を見渡した。2メートル近い背丈に、細長い手足は何とも異形だ。浅黒い肌はこの近隣では見かけない人種であり、道行く人々は物珍しさも相まって、博士をチラチラと盗み見ている。

それに気付いていないかのように、サムディ博士はにたりと牙のような歯をちらつかせる。続いて、馬車からサムディも降りてくる。真っ白な清潔感の溢れるワンピース、そして同じく白く長い髪が風にさらわれる。海のような深い色をした青い瞳が、ぎょろりと通りを見渡す。陽の光を浴びるそれらは、幻想的に輝いた。病的な白い肌も、やはりこの街では浮いて見えた。

博士から金を受け取ると、すぐさま馬車は走り去る。サムディは二人分のトランクを地面に置いた。

「良い街じゃないか。前の所よりも都会だね。活気があり、貿易も盛んそうだ」

それに、と博士は路地裏の辺りをじっと見つめる。淀んだ緑の瞳が、薄汚れた人々の姿を捉える。つられるように、サムディの青い眼がそれを視界に入れた。

「こういう所では貧困、病、犯罪、そういうものも盛んなものだ」

にまりと笑う。サムディは口を閉ざしたまま、こくんと頷いた。博士とは対照的に、彼女は無表情だ。

「うん、しばらくはここに滞在しよう。ツテがあってね。医者として雇ってくれるそうだ」
「博士が働くんですか」

ぼそりと、低い声でサムディが尋ねる。青い眼は遠いどこかを見ているのか、焦点が合っていない。

「そうだよ。大きな都市ほど、そういう隠れ蓑が必要になる。それにね、医師というものは良い職業だ。いくつもの死が見れる」

ぎらりと、歯をむき出して博士が笑う。楽しくて仕方が無いという顔だ。サムディの荷物をかすめ取り、博士は細長い足を細かく動かして歩いて行く。行く先は決まっているようだ。サムディは小走りで博士を追いかける。

「私はどうすれば」
「好きにすればいい」

にまりと笑い、博士はちらりとサムディに眼を向ける。

「色々なものを見て回ってはどうかな。君の知識はまだまだ未熟だ。僕には到底及ばない。君にはまだまだ沢山のものを知ってもらわねば」
「そうすれば、心を得ることができますか」

サムディはじっと澄んだ青を博士に向けた。博士の、淀んで濁った緑を浄化せんとばかりに。博士は一瞬真顔になり、彼女の表情を読み取ろうと試みる。

しかし、結局それは無駄に終わる。当然だ、サムディに心は無い。よって、表情なんてものを彼女が持ち合わせているわけが無かった。それなのに、心というものに執着する彼女は面白い。博士は陽気な気分に、また一層愉快さが加わっていくのを感じた。

「ああ、そうとも。そうだろうね。心を得られるかもしれない」そう博士が言うと、サムディはニマ、と唇をひどく歪ませた。笑おうとしたらしい。

彼女のその表情は、全てが全て知識としての処理である。感情を伴った反射ではない。だから機械を連想させるそれには違和感があるし、何より見る人を妙に不安にさせた。

博士が見聞を広めよと言ったのもこれが理由である。彼女のシステマティックな情報処理を、円滑に行わせようと思ったのだ。

そのためには沢山の人間を見なくてはならない。たくさんの人間を、たくさんの表情を。

ただ一つの不安要素は心ないサムディ自身にあった。この街は巨大だ。妙な騒ぎを起こしたとしたら、断罪と迫害が自然と始まるだろう。それは博士の本意ではない。噂はどこまでも広がるものだ。研究対象に避けられては何の実験も行えまい。

以前のように全ての人間を食べ尽くせば問題はないが、この街ではそれも難しいだろう。また、都市部では厳格な司法が存在している。そのまま逃げおおせることは難しいかもしれない。

そこまで考えて、博士はまぁいいかと思い直した。今は人間なんかよりもよっぽど興味をそそる対象がいる。しかもこいつは唯一無二だ。どちらを切り捨てるべきか、なんて天秤にかけるまでもなかった。

以前のように、この街で心を食い尽くそうとするのか。それとも、何か学習してみせるのか。心ないサムディがどんな行動に出るのか、博士の愉しみはそれだけだった。

こうして街で細々と暮らし始めた二人は、平和な街に波風立てることなく平穏に溶け込んでいった。枯れ枝のような博士と蝋人形のようなサムディをやはり最初は不気味に思っていた街の人々も、いつからか受け入れるようになっていった。これは博士の思惑通りだった。出来る限り純朴に振る舞えば、多少の外見になど目を瞑るのが人間だ。

サムディも特にこれといった問題行動を起こさない。これと言って人々と関わりを持とうとする気配もないが、声をかけられれば違和感なく対応するように学習していた。博士はそれに落胆していた。まるで『心ある』人間のような行動にみえたからだ。『心ない』人形と『心ある』人間がまるで同等であるかのような実験結果は、博士の求める答えでは無かった。

きっと何かがあるはずなのだ。『心』というものには。博士はそれが知りたかった。心の有無で起きる様々な現象を調査する為に、『彼女』を生み出したのだから。

小さな診療所で博士は人々を治療し、その倍以上の死体を研究した。もはや次の研究に移らねばなるまい、と博士は思っていたのだ。

そんな博士の思惑など、知ることも想像することもできないサムディは、文字通り何もせず一日を繰り返していた。心ない彼女に意思などあるはずもなく、サムディはいつも診療所の庭でぼんやりと一日を過ごしていた。

一日に何度か、博士はそんなサムディを観察し、経過を記録していた。しかしこれと言った変化はない。通院している患者や、道行く人々がいくら声をかけても何の反応も示さない。やはり失敗か、と博士は何度もため息をつく。徐々に彼女を観察する頻度も減っていった。

しかし、博士はある変化に気付く。毎日、近所のパン屋の息子が彼女に話しかけているのだ。何も返さないサムディに、懸命に、何度も、何分も。

パン屋の息子はサムディよりもわずかに背が高く、また声も高かった。まだまだ少年という域から出ていない。キラキラとした瞳は純粋そのもので、少しの濁りもそこにはなかった。頬をわずかに紅潮させ、懸命にサムディに話しかける姿は何とも初心だ。

博士は窓ガラスに黒くて細長い指をべたりと貼り付け、ギザギザの歯を剥き出しにしてニタリと笑った。

少年が声を発していることに、サムディは最初から気が付いていた。けれど、それがまさか自身に向けられているなんて想像もしなかったのだ。

店番の合間に、彼は何度も何度も診療所の庭へ通った。友人たちや大人たちに冷やかされようとからかわれようと構わずに。何度無視されようと、彼は毎日通い詰めた。真っ白な肌に、海のように美しく青く澄み切った瞳。笑えば、それがもっと映えることだろう。表情が無いのは、きっと見知らぬ土地で心細いのだ。友達も上手く作れずに塞ぎこんでしまっているのだ。

まるでヒーローになったような気分で、少年は毎日サムディに会いに来た。彼女の笑顔が見たくて、一緒に友人たちを遊びたくて、彼は何度も何度もくじけずに訪れた。

「君はどこから来たの?」という問いにサムディが答えたのは初めて彼が診療所に現れてから5日が経っていた。ようやく、彼が自身に話しかけているのだと理解したのだ。

「ここよりもずっと寒くて、遠くて、廃れたところよ」

そう言った彼女の声は落ち着いていて、空気に静かに溶け込んでいく心地良さがあった。その言葉と同時に、青く澄み過ぎた瞳が向けられる。彼は思わず胸元をぎゅうと強く握りしめた。所々汚れたエプロンがシワになってしまう程に。

声を聞かせてくれた。視線を合わせてくれた。笑顔ではないけれど、今はそれで充分だ。舞い上がりそうになる気持ちを無理矢理に押さえつけ、少年は言葉を続ける。

「おれっ、あっ違、ぼ、僕、オットー。パン屋のオットー。君の名前は?」

サムディは黙り込んでじっと彼を見詰めた。道行く人々はあまりこんな顔をしていないな、と往来の人々を彼を見比べた。紅潮した頬、必死そうな表情、全てを見逃すまいと見詰めてくる瞳。全てがサムディにとって新鮮だった。何故こんな顔をするのだろう。サムディには全く分からなかった。

彼女がサムディ、とぶっきらぼうに名前を告げると、オットーの顔中に笑顔が広がる。太陽の他にこんなにも眩しいものがあるのかと、サムディはわずかに目を見開いた。

「サムディな!うん、良い名前だね。覚えた!」

声までが嬉しそうだ。言葉にまで心が宿るのか。サムディはようやく気がついた。言葉はただ発するものだと思っていたのだ。気持ちを音で伝達するなんて、彼女は今までに一度として考えたことはない。 博士の意図をようやく知り、サムディはもっと沢山の人間と会話をすべきだと反省した。だからこそ、オットーとの会話も途切れることがないように言葉を紡いだ。

「私も覚えた。オットー、貴方はオットー。パン屋のオットー」

オットーの真似をしようと、喜びを舌に乗せたつもりだった。けれどもそれは上手くいかなかった。けれども彼は感情の籠らない、ただの音でしかないそれに耳まで赤くした。「あ、うぅ、あ」と声にならない声を発し、もじもじと視線をそこら中に散ばらせる。

「ぼ、く、もう行かなきゃ。みっ、店番、あるから!」

そう言って駆けだそうとするオットーに、サムディは思わず彼のエプロンを掴んだ。赤い顔だ、それに驚き、期待、羞恥……。表情からいくつもの感情が読み取れる。しかしサムディはそれをまとめて何と呼ぶのか分からなかった。オットーが何故そんな顔をするのかも分からなかった。

彼の表情はどれも初めて見るものばかりなのだ。それがサムディの好奇心を煽った。だからサムディは彼のエプロンに手を伸ばしたし、こう彼に告げたのだ。

「また会いに来てくれる?お話してくれる?」

やはり感情の籠らない言葉。そこには懇願の色も見当たらない。単なる疑問文が二つ。それでもオットーは顔を真っ赤にし、必死になって首を縦に振った。魚のように何度も口を開閉させ、何かを訴えかけるように真っ直ぐサムディの青すぎる瞳を見詰めた。

「もっちろんだろ!僕たち、もう友達だもの!」

そう言って走り去っていくオットーの背中を、サムディはいつものようにぼんやりと眺めた。身体の真ん中を、何かが満たそうとしているのを感じながら。それはとても居心地が悪く、身体中に不快感が走るのだが、何故だか取り除こうとは思えなかった。満たす物が何か、サムディには分からない。けれど、満ちていく器はきっと心なのだろうと、祈りにも似た気持ちでそう思った。

これが心なのだと、サムディはそう思っていたかったのだ。