someday:3,サムディ狂博士の咆哮

2012-01-16
someday

someday:3,サムディ狂博士の咆哮

パン屋の息子であるオットーは毎日毎日、診療所の庭を訪れた。余程、サムディと話がしたかったのだろう。時には絵本を持って、時には売れ残りのパンを持って。 どんな時も、オットーは良く笑った。話をする時も、聞く時も、帰る時も、オットーは笑顔を絶やさなかった。サムディが表情を見せることは一度としてなかったが、それでもオットーは嬉しそうに笑うのだ。

サムディは庭に咲き出したひまわりと、頭上で輝く太陽を何度も見比べる。オットーはやはりあれに似ているな、とサムディは彼の横顔を眺めながらそう思った。 しかし、彼女は気付いていた。

時々、彼から表情がふっと消える瞬間があること。

寂しいのだろうか、悲しいのだろうか、サムディはいくつも推測を立てるが、結局オットーの表情が意味するものは分からなかった。そのことを考えると体中が痛くなる。

心がないから。

自分に心があれば分かってあげられるのだろうか、たった一人の、初めての友人の気持ちが。体に絡みついて止まない痛みも、拭い去ることができるのだろうか。 そう思うことは出来るようになったものの、やはり心ないサムディはそれ以上どこへも進めないのであった。

結局、サムディは直接オットーに尋ねることにした。もちろん、心がないなりに悩んだ結果である。庭でいつものようにオットーの話を聞いている時だった。少し日が傾いている。あの太陽が赤くなる時が別れの時間だ。

「かなしいの?」

発してみて、あまり疑問形にならなかったな、とサムディは思う。しかしオットーにはきちんと通じたらしい。丸い瞳を一層丸くし、オットーはポカンと口を開けた。

「悲しい?僕が?」
「うん、そう」
「どうして?」

質問を質問で返されるのは好きじゃない。サムディは不機嫌さを示す為、眉間にシワを寄せる。

「あっごめん。いいや、別に悲しいわけじゃないんだよ」

慌ててオットーがそう返す。

「そう。ならいいの」

呆気なくそう返すと、オットーは唇をきゅっと噛み締めてサムディを見つめた。その視線に気付き、サムディは「なあに」と言葉を発した。こんな時、オットーはこうして彼女が促さなければ決して話そうとしないのだ。

「前から、君って変だなぁとは思ってたけど」
「うん」
「本当に変だ」
「そうかも」

そういう自覚はサムディの中にも芽生えつつあった。オットーと話している時は特にだ。会話の中に、微妙なズレを感じる。そしてきっと、そのズレを産んでいるのは間違いなくサムディなのだ。

「僕が悲しくないって言ったら信じちゃうの?」
「嘘なの?」
「違うけど」

違うけどさぁ、と言ったところで、オットーは唇を尖らせてそっぽを向いた。

「悲しいけど、悲しいってサムディに気付かれたくないんだよ」

するりと、サムディの口から言葉が零れる。いつの間にか、険しい表情をしていた。

「難しい」
「そんなことないよ。皆、自然とやってる」
「自然と…」

そう言ってサムディは黙り込んだ。彼女は自身が自然に生まれたわけではないことを知っている。全てが人工だ。全てが博士のものなのだ。オットーの言うような処理を、人工物の塊であるサムディができるわけがない。じくじくと体の痛みが増していくようだ。

だから、心の無い彼女は心を求めてさ迷うのだ。その為に心を食らうのだ。

けれど、サムディはこの街に来てから誰の心臓も食らってはいなかった。別に、食べる物は他にもあったし、人間は生きていた方が得る物が大きいことに気付いたのだ。死んでしまっては、何の感情も示すことができない。ただの肉塊には、それ以上の価値も無い。

他者の観察では、今以上に心を理解することはできないだろう。オットーの言う『自然』が理解できるようになるには、もうそれでは限界なのだ。

それじゃあ、再び食らおうか?

隣で、おろおろと顔色を伺うオットーをじっと見つめる。彼の心臓を食らったら、彼のように表情豊かな子供になれるのだろうか。なれやしない、とサムディは経験上分かっているものの、どうしてかそんな気持ちが体を支配する。

「お、怒った?」

そう言うオットーに、サムディはふるふると首を横にふる。

「ううん。怒ってないよ。でもね、博士に用事頼まれてたの思い出しちゃった」
「そうなの?それじゃあ、今日は帰るよ。僕も店番しないとね」
「ごめんね。今度はお店にパンを買いに行くから」

心臓を食らうことは簡単だ。彼の胸に飛び込むようにして、がぶりと行けば一瞬だ。数分もあれば食べ終わるだろう。この小さな体に、それほど大きな心臓が詰まっているとは思えない。食べ終えたら、サムディの口元は真っ赤に染まるだろう。隣にいるオットーはばたりと体を横にする。瞳はきっとどこを見ているか分からないだろう。

「やった!楽しみに待ってるよ、サムディ。約束だからね!またね!」

ヒマワリに似た笑顔を見せながらオットーは駆けて行った。手を振られたので、手を振り返す。そして、思う。彼の心臓を食べたくはないと。

「でも、私、心が欲しいの」

目線を落とし、ぽつりとサムディが小さく呟いた。

「そろそろ時期かと思っていたよ」

一人言に思わぬ言葉が返って来た。バッと勢い良く振り返ると、見覚えのある白衣がひらひらと風に舞う。真っ赤な太陽を背に、博士が立っていた。

「博士」
「今日はサムディに心を与えよう」

不意に聞こえたその言葉に、サムディは知らず知らずの内に目を大きく見開いた。じくりと空っぽの胸が痛みを叫ぶ。思わず左胸に手を添えた。

それを見た博士は小さく笑った。まるで子供の成長を微笑ましく見詰めているかのように。不意に、浅黒いガリガリの手足がまるで指揮でもするかのように動き回った。博士が演説する時の癖だった。

「心とはすなわち僕を構成する万物だ。僕の知識、欲求、野望、その全てだ。前に、君は言ったね?求めていると。それは僕だ。僕の心臓だ。僕の心臓が、君は欲しいんだよ」

ぎょろりと、不気味な緑がサムディを捉える。濁りきった、汚い瞳だ。その視線の意味も、言葉の意味も、彼女は理解できずに小さく首を横に傾けた。

「僕は君に名前をあげた。それはある種の儀式だった、通例だった。我々は我々を生み出しているのだよ」

ぎしり、と体中を強く締め付けられた気がして、サムディは顔を歪ませる。それとは対照的に、博士はどんどん笑みを深くしていく。言葉こそ上品さを残しているものの、真っ白な牙をのぞかせる獣のような形相だ。

「そういう形で、我々は死を超越してきた。克服することは未だ敵わない。何だってそうさ、克服することはひどく難しい。僕は何代目なのかも分からない。そんな簡単なものではないのだろう」

興奮で動き回る淀んだ緑。
動揺しゆらめく澄みきった青。
浅黒く、細長い手足。
青白く、小さく細い手足。
艶の無い柔らかな黒髪。
さらさらと流れる白髪。
歓喜で満ち溢れる心。
痛みに苦しむがらんどう。

真っ赤な夕日だけがそれを見ている。

ゆらゆら揺れ動く枝のような右手が、ぎらりと輝きを放つメスを持っていることにサムディはようやく気付いた。それが、ぶすりと博士の心臓に突き刺さる。ぎょっとしてサムディは大きく口を開いた。そして残りの左手が、メスの後を追うように突き立てられる。何かをえぐり取ろうとする仕草。

それが何を意味するか、サムディには分かっている。

博士は大きく体をのけぞらせ、空を仰ぐ。心地良いとでも言いたげな、恍惚とした表情でサムディに話しかける。濁った緑色の瞳が、急に光を持ち、輝きだした。胸元は赤く染まり、袖口も徐々に真っ赤に染まっていく。

「僕のかわいい実験台。体中が軋んでやまないだろう。心がないとはそういうことだ。僕の心臓を移植しなさい」

ぶぢり、と無理矢理引きちぎった音がする。すっと差し出された深紅が何か、サムディは分かりきっている。彼女は疑問を抱けなかった。不安を口にできなかった。嫌悪を、恐怖を、拒絶を露わすことができなかった。そんな表情の人間を観察していなかったからだ。

「僕はもうじき死ぬだろう。そうすることで君の血液は巡り、体中は彩りを得るだろう。心を得るとは、そういうことなのだ」

サムディは、深紅に向かって両手を差し出した。まるで戴冠式のように、仰々しく、神聖な気持ちでそれに向かっている。博士は澄んだ緑色の瞳を細めて微笑んだ。穏やかだが、けれど確かに狂気を孕んでいる。

心臓は温かく、そして柔らかく、まるで生き物のようだった。サムディはしっかりとそれを受け取り、大きく口を開いて飲みこんだ。そうすべきだと分かっていた。迷いはなかった。どろりと、喉を流れていく感触が心地良い。

最後の演説だ、と言わんばかりに、サムディ博士は両手を大きく広げた。少女の真似をするように、大きく口を開き、牙をむき出しにした。獣の咆哮だ。人目を憚らない、最期の咆哮。

「そうしていつか、いつの日か死を克服したまえ!我々の悲願を果たしたまえ!」

いつの日か。
いつの日か。
いつの日か。

きっとサムディの最期もそうやって叫んで終わるのだろう。それもある種の儀式であり通例なのだろう。いつとも知れぬ未来を、サムディは想像してみた。

その時は、きっと博士のように澄んだ瞳でいたいものだ。

「明日…オットーに会いに行かなきゃ。パン、を買おう…」

呟かれた言葉は弱々しい。どさりと倒れた博士の体は、まさに枯れ枝のようだった。奇妙なことに、心臓を飲みこんだサムディの顔も、手も、血で汚れはしなかった。全ては夢だったと思える程だった。

けれど、痛みの無い体が全ては現だと告げている。頬を流れる透明な雫が、嘘ではないと告げている。

全ては真っ赤な夕日だけが見ていた。