首吊り/デラシネ・後追い

2012-01-20
story

首吊り/デラシネ・後追い

駅前の、少し細い路地にその喫茶店はある。

多々家(たたいえ)ざろめは細身のジーンズに、黒のダウンを着ていた。少し癖のあるベリーショートの黒髪に、白く太いフレームのメガネがどこか男性的である。背中を丸めて歩く姿は、やはり男のそれと似ていた。 

ゆっくりとした足取りで、けれど躊躇うことも無く彼女はその喫茶店に入っていった。 

「あ、来たんだ」 

感情の籠らない、心地良い低音でそう言ったのは、店長代理を名乗る桃山善知鳥(うとう)だ。ざろめよりもわずかに小さな背を、ぴんと伸ばして立っている。 

少し驚いたような表情は、すぐに笑顔に変わった。少し垂れた大きな瞳には愛嬌があり、それを十分に生かす化粧の仕方を彼は知っているようだった。赤みがかった茶色の髪を後ろで一つに束ねている。シックな色合いの服を身に付けている中、爪を彩る蛍光色の水色が鮮やかだ。 

ざろめと対面する善知鳥は、所作から何まで全てが女性そのものであった。男性であるはずの善知鳥は女性らしくカウンターに立っている。女性であるはずのざろめは男性のようにカウンターに座っている。 

「客を選ぶなんて、ひどい店じゃん」
「選んでないよ。この前テスト期間中って言ってたからさ」 

にやりと笑うざろめの声は低く、唇で美しい弧を描く善知鳥の声も低い。 

「それに、俺に会うのは不愉快じゃない?」 

前にいた客のものだろう、食器を洗う音がする。かちゃかちゃと食器のこすれあう音が心地よかった。 

「別に。不快じゃないし、同類求めてるわけでもないよ」
「そう、良かった」

互いの存在を知ったのは一年ほど前だ。ざろめがふと、学校帰りにこの喫茶店に寄り道したのがきっかけだった。セーラー服を着ていたざろめは、ドアを開け、今日のようにカウンターで洗い物をしている善知鳥を見て、ぴしりと固まったのだ。今日のように、女性らしく、凛と背筋を伸ばして立っている男性に、目を大きく見開いたのだ。 

その時のことを、きっと善知鳥も覚えている。確認したことなどなかったが、きっと間違ってはいないと彼女は確信していた。 

「話もしない内から、俺が男って気付いた奴は君が初めて」 

そう言われたことを、ざろめは今でも忘れられなかった。 

かちゃかちゃと洗い物をする善知鳥をじっと見つめながら、ざろめは頬杖をつく。最初こそ強烈な違和感を覚えたが、見慣れた今では善知鳥はどこをどう見ても女性にしか見えなかった。完璧と言う言葉はきっと彼の為にあるのだろう。身長もざろめよりわずかに低いし、体もほっそりとしている。 

善知鳥の口から「俺」と言う単語が出ることが不自然なくらいだ。いくら「男っぽいね」と呼ばれるざろめでも、その域には到達していない。どんなに男性のように振る舞ってみても、結局どこかがズレが生じる。 

「ウトーさんは、いいなあ」 

ぼそりと呟いた。反応して貰おうと発した言葉ではなかった。ただ、何となく、心に浮かんだ言葉をぽつりと吐き出してみただけなのだ。特に考えがあったわけではない。 

だから、彼から「何が?」と聞き返された時は言葉に詰まってしまった。 

「ちゃんと女の子してて、すごいなぁって」
「ああ、そういう…」 

そこで善知鳥は一旦言葉を区切り、食器を丁寧に拭いて行く。 

「俺のは意識してるからだよ。意識してるのに男っぽいって言われたら、そりゃあ、そっちのがショックかな」
「でも、話し方は女っぽくないね」
「女らしさは意識しているけど、女になりたいわけじゃないから」
「良く分かんない」 

そう言うと、善知鳥は小さく肩を揺らして笑う。大きな瞳がこちらを見る。その目がとても優しくて、ざろめは思わず心臓が跳ねるのを自覚した。 

「じゃあ。多々家さんは男になりたくてそういう格好しているの?」
「ううん」
「なら、どうしてそんな格好をしているの?女性的か男性的かで言えば、男性的な服装だと思うけど」
「元々、男っぽかったから。だから、こういう格好の方が落ち着くの」 

そこまで言うと、善知鳥は「それだよ」と言って笑った。 

「俺はゲイじゃないし、オカマでもない。女の格好の方が似合うと思ったからこういう格好をしているだけで、そういう格好をするなら女の仕草の方が相応しいと思っただけで。自分の性を否定してるわけじゃない、異性に憧れてるわけでもない」 
「なんか、倒錯してるね?」 
「うん、そうかもしれない。でも、誰にも迷惑かけてないからいいんだよ。その為に、パッと見じゃ女装してるってばれないように工夫してるんだし」 

善知鳥がそう言って食器を片付けると「ご注文は?」と聞いてきた。ここでざろめは自身が何も注文していないこと、ここが喫茶店であることを思い出して、慌ててメニューをめくり出す。バイトの給料日はもう少し先で、財布の中には千円が入っているかすら疑わしい。 

「えっとぉ…、あ、パフェ。バナナパフェがいい」
「はいはい。ちょっと待っててね」 

そう言って、善知鳥は少し奥にあるキッチンへ消えた。 

カウンターからわずかに身を乗り出して、ざろめは彼の後姿を見送った。落ち着いた赤色のエプロンのリボンが、縦に結ばれている。そういうところも、何だか女性らしいなとざろめはしみじみと思う。 

私は、ただ、自分に似合うものを選び取っているだけだ。 

彼女はそう思っている。幼い頃から少年に交じって遊ぶことが多かった。「かっこいい」と言われることがひどく嬉しかった。そう言う経緯があるものの、男に憧れているわけでもないし、男になりたいわけでもない。ふとした瞬間、男性らしさを意識することはあっても、善知鳥のように異性の仕草をトレースしようとしたことなんてなかった。

似たような道に立っているはずなのに、どこか違うのは何だろうか。彼を見ていると、そう思わずにはいられなかった。 

「はい。お待たせしました」
「やったぁ」 

思ったよりも豪勢なパフェに、ざろめは両手を叩いて喜んだ。 

「多々家さんってそういうところ、女の子っぽいね。見かけによらず、あんがい、女子っぽい。持ち物も、意外と可愛いんだよね」 

カウンター越しにそう言われ、ざろめは少し不快感を覚えた。好青年ぶった善知鳥の顔が、ひどく歪んで見える。何度かこの喫茶店に訪れて、彼女は気付いたことがある。善知鳥は意外と粘着質で、意地悪だ。大人の余裕をにじませながら、子供っぽい幼稚さでざろめを翻弄するのだ。 

「なんでもかんでも、男とか、女とか…」 

反論しようとつい口を開いたが、その続きは言葉にならなかった。 

「うん、そうだね。ごめんね」 

呆気ない程、するりと謝罪を口にする善知鳥を、ざろめは恨めしそうに見上げた。

「私が女の子してるって言ったの気にしてるんだ?うっわ、陰湿」
「うん。だから、ごめんね?」

彼女が皮肉で返しても、善知鳥はただ微笑むだけだった。何を言っても負けた気分になると察したざろめは、そのまま無言でパフェを食べることにした。暖房の効いたこの空間で食べるアイスの冷たさが心地良い。パフェの甘さがじわりと口の中に染み込んでいくようだ。思わず笑みがこぼれ、それを善知鳥に笑われた。ざろめが無言で、睨みつけると、再び「ごめんね」と微笑みながら返される。

「多々家さん、いじめたくなっちゃうんだよなぁ」
「いじめっ子最低。ばーか、ばーか」
「妹がいたらこんなんだろうな、って思っちゃうんだよねー…」 

しみじみとそう言いながら、善知鳥は再び奥に行ったかと思うと、冷蔵庫からパックのオレンジジュースを取り出した。グラスに注ぎながら、懐かしげに笑みを浮かべている。 

「いいよね、女子高校生って」
「ウトーさんまじオッサンだよ、それ」
「もう26になるしなぁ、しょうがないよ」 

そう言って善知鳥はオレンジジュースを一気に飲み干した。そしてまたすぐにグラスに注ぐ。

「あーあ、俺もセーラー服着てみたかった」
「また言ってる。だから貸してあげるってば」 

うんざりした口調の割に、ざろめの顔は満面の笑みだった。半分になったアイスをスプーンでつつきながら、バナナを口に運ぶ。立ちっぱなしは疲れる、と言ってカウンターを出た善知鳥は彼女の隣りに座る。 

「あ、そうだ。俺がセーラー着てさ、多々家さんが学ラン着て、デートしよう。絶対誰にもばれないよ」

名案を思いついたとでも言いたげに瞳を輝かせ、善知鳥はざろめの方を向いてそう言った。パフェを食べる手を止めて、彼女は少し思案するような素振りを見せてから意地悪げに笑う。 

「ウトーさんは喋ったら男ってばれるから会話禁止ね」
「ええー」 

口をとがらせて拗ねる姿は、わざとらしい。善知鳥を見て、ざろめはくつくつと小さく笑い声を洩らした。二人の仲は、会う度に急速に近付いて行く。それは、少し変わった志向性を持つ者同士、何か引き付け合うものがあったせいかもしれなかった。 

「私さ、大人になったらウトーさんみたいになりたい」
「ええ?止めなよ、こんな倒錯しきった大人なんてさ。親に絶縁されちゃったんだぜ、この前」
「おお、絶縁とか初めて聞いた。すごいねぇ、実際にあるんだねぇ」
「本当にねぇ、あるんですよ。ふふ」 

そう言って意味ありげに笑った善知鳥は、女性特有の艶やかさがあった。やはり羨ましい、と思った。それは異性のものを完全にトレースしている彼の技術が羨ましいのだ。 

ざろめは自分の本質をとっくに理解していた。自分のこれは一過性のものだ。彼のこれはきっと永遠だ。今はまだ沿うようにしている二人の道が、いつか、はっきりと分かれる時がくる。その瞬間は、未来のどこかに必ず置いてある。 

「ま、多々家さんはしっかり勉強して、男磨いてさ、いつか俺を迎えに来てちょうだいよ」
「えっ、それはやだ」
「即答されるとはな。俺、意外とオールマイティにこなすからね?断ったのを後悔するからね?」 

そう言う別れを予感しては、ざろめは一人落ち込んでいる。仲間だと思って親しみを覚えているのはお前じゃないか、そう詰め寄ってやりたい。頭の中では、ざろめはそうやって何度も彼に詰め寄っている。けれど、能天気に、爽やかに、何の裏表も無く笑う善知鳥を見ると、何にもできなくなる。 

会う度に、予感は確信に変わっていく。同類で無くなったざろめを、善知鳥は優しく、けれど冷たく突き放すのだ。友人として、いつまでも側にいることはできるかもしれない。けれど、今以上の壁を感じることだろう。親しくなる度に、そういう不安が頭を占める。けれどそれを表に出さずに、上手く切り抜ける彼女はやはり女なのだ。