孵化する過去がえり

2013-04-27
story

孵化する過去がえり

僕らが述べるのは過去だけだ。 

君はとても美しいひとだった。 

優しく、誰にでも優しく、誰の事も見ていない冷酷な人だった。 

ただ僕がすがりつこうとしていたことに気付き、反射的に手を差し伸べてくれたに過ぎないのだろう。きっと。 

きっと、他の人よりも偶然が重なりあって積み重なって山積みになって、そして君のところへ僕がたどり着いたに過ぎないのだ。 

僕らは夢をみるのが好きだった。他にすることがなかった。働くことにも意義を見出せなかった。積極的に生きられなかった。学ぶこともそれほど熱心にはなれなかった。受け取る事しかできないからだ。何もかも、どこかから流れて来たものを拾い食いするしか能がなかった。 

乞食のような人生だと僕はよく自重した。実際に、乞食め、死ねと言われることもあった。それでも僕らは積極的に死のうとはしなかった。 

乞食のような僕に、乞食らしからぬ君は美しかった。どうしたって、美しかった。 

僕らが2人ぼっちで夢をみているとき、椅子に腰掛けたままじっと外をみていた君の瞳は虹色に輝いていた。その虹色が何を意味するのか僕は知らない。今も分からない。僕は何も知らない。 

僕が述べるのは過去だけだ。 

君が片手鍋をじっと見つめながら、「ロイヤルミルクティはね」という。甘い香りに、くすぶった茶色。茶色とも呼べない白。白ともつかない牛乳色。紅茶だった色。 

君の作るミルクティは本当においしかった。 

「ロイヤルミルクティはね、私のおばあちゃんが大好きだったの」 

僕はそれを何度も聞いた。それでも、初耳だと言う顔をして何度でも耳に入れた。 

「私の祖母は駆け落ちしたの。私の祖父とね、当たり前だけど」 

君の祖父は地元じゃ割と有名な地主の次男坊だったらしい。 

「世間体なのか何なのか分からないけれど、本家の意地なのかな。とにかく、山奥にある小さい土地をおじいちゃんにあげたの。山奥に閉じこもってろって意味なんだと思う。まぁ私の実家なんだけどね、それ」 

商店街に行くのに、軽自動車がやっと通れる砂利道を30分くらい進んで、急斜面をひたすら下って、一時間かかるという。草ばかりが生えた砂利道、ツタや桑にまみれた視界。僕にはその光景を上手く思い描くことができなかったが、言えずにいた。君が懐かしそうに目を細める、その邪魔をしたくなかった。 

「すっごい不便だったけど、最近は都市開発が進んで大分便利になったかな」 

不満げに言うその表情も穏やかなのだから不思議だ。時々、僕は君の感情を読み取れないことに戸惑い、そしてまた君のすべてを把握しようとしている自分に気付いて吐き気を催す。 

「土地は与えたけど、名前はとりあげられちゃって。苗字も、本家はセラダって言うんだけど、うちはセダに変えられて」 

長々と続く君の話。何度も聞いた。一言一句覚えている。一言一句変わらないことも知っていた。 

「おじいちゃんはね、名前なんていらない、本家のことなんかどうでもいいって、お前と一緒ならいいって、おじいちゃんは嬉しそうだったって。情熱家だったんだよ。そこでおばあちゃんと一緒に暮らし始めて、とにかく幸せだったって」 

まるで自分のことのように、嬉しそうに笑う君。 

「名前が無いから、『お前さん』っておばあちゃんが嬉しそうに呼ぶんだよ。地元の親切な人たちは困ってたけど、『あんたさん』って呼んでた。うちに好意的じゃない人は「そこんち」って呼ぶんだけど、本家のじいさんばあさんくらいだね、今は。山奥の、本当に何時代かって言うくらい田舎の生活だったけど、私は好きだったよ。都会じゃなくたって、洗練された生活だったと思う」 

ロイヤルミルクティもその祖母から教わったのだ、と君は誇らしげに言った。 

「おばあちゃん、ブラジル人だったの。ブラジルかな、わかんない。南米の方。クウォーターだか、そんな感じだったけど。だから駆け落ちしたんだよ。それでね、そのおばあちゃん、面白いんだ。ロイヤルミルクティだけじゃなくて、魔法も使えるんだって」 

その祖母は、何度も、それこそ今の君のように、同じ事を繰り返し言ったそうだ。 

「きっと、あたしの次はお前がそうなるんだよ」 

冗談めかして君が言った。 

「一言一句変わらず?」 

その一言を僕は言わなかった。言わずにまた祖母の話を聞いた。 

君の祖母は流星群を捕まえるのが得意だったらしい。真っ白い、自慢の長髪を編み込んで作った網でとるそうだ。小さく浮かんでいるだけの星を捕らえるのは億劫だが、流星群であれば容易だという。 

君は何度かそれを実現してほしいとねだったそうだが、「時期じゃない」と言ってはぐらかされ続けたそうだ。その代わりに、祖母は流星群を刻んで炒めたスープを作っては出していた。 

祖父が一番好きな料理だった。君の母は好きではなかったが、それでも、何となく「おふくろの味」がこれなんだと認識していたようだった。 

真夜中に、大きな黒猫と人形を作るのが趣味だった。高慢そうな顔をした黒猫が、彼女の元にぱたりと尾を差し出すのが合図だった。祖母はその尾から毎夜少しずつハサミで毛を切った。 

短いそれをぷるぷる震える手で繋ぎ合わせ、長く細い糸にする。それから蜂蜜の詰まった瓶の中に入れて湯煎すると、猫糸に艶が出るという。使用した蜂蜜は感謝の意味もあるのか、全てその黒猫にあげてしまうらしい。 

そうして出来上がった猫糸を2本のかぎ針で器用に編み上げるのだ。出来上がるのは親指ほどの大きさの、黒い人形だ。そこに赤く透明のビーズを2つ縫い止める。 

1体作るのに何ヶ月もかかるのだが、君はそれを2つ以上みたことがないらしかった。 

祖母は完成するとすぐにプレゼントにしてしまうらしい。「あたしの故郷の守り神だよ」というと、周囲の人々は喜んでそれを受け取った。素朴な作りが、あんがい可愛らしいのも喜ばれた。 

君も、1体だけそれを受け取ったそうだ。部屋で大事に飾っていた。 

僕はそこまで振り返って、口を閉ざした。 

僕が語れる君の話はこれが全てだ。僕らは過去しか語れない。僕らは極度の嘘つきだ。僕らは重度の虚言癖を持っていた。僕は君とのこれからについて語りたいが、思うばかりでやはり言えなかった。上手く口を閉ざす事もできない。