否定語からはじまる白昼夢

2012-12-21
story

否定語からはじまる白昼夢

父親愛用の寸胴鍋を姉が取り出したのを見て、ベアンは急に表情を暗くした。姉はか細い手でドラム缶のようなそれを流し台に置き、蛇口をひねって並々と水を注いでいく。

「姉ちゃん、本当にやるの?」

怖じ気づいたとしか言いようのない弟の声に、姉であるネヴァは凛々しい眉を一層つり上げた。

「当たり前でしょ。何、今更」
「だってさぁ、父さんにばれたら怖いよ。絶対怒られるよ」
「大丈夫だってば」

そう言ってネヴァは蛇口をひねる。寸胴鍋にはたっぷりの水が入っている。

「ベアン、鍋持ってよ」

そう言うと、弟は渋々と言った様子で姉に従った。鍋を火にかけ、沸騰するまで蓋をしておくのだ。その間にネヴァは下ごしらえを済ませようと冷蔵庫から材料を取り出す。長ネギ、豆腐、豚肉、すみれの花びら、それぞれ適当な大きさに切り分けていく。サファイヤとダイヤ、大理石を粉末にし、それぞれを5:4:1の割合で混ぜ合わせる。

沸騰する気配のない鍋を見つめる弟は、未だに不安そうだ。

それを横目で見ながら、ネヴァは言い聞かせるように口を開いた。

「あたし、もうすぐ結婚するんだもん。川辺じゃなくて、飯島になっちゃうんだよ?飯島になったら、もう作れないでしょ?家庭の味も知らずに嫁ぐなんて、あたしは嫌なの」

弟と言うよりも、自分に言い聞かせていた。15歳で結婚するのはごく当たり前のことだ。その点に関して、ネヴァは特に不満もない。しかし、こればっかりは譲れなかった。家の味も分からないまま嫁ぐのだけは、強気な彼女にとって堪え難いことだ。

ぐつぐつと沸騰し出した鍋に、刻んだ材料を入れていく。ネヴァは火が通ったのを確認して、サファイアとダイヤと大理石を配合した特製調味料やホールトマト、ブイヨンを合わせたスープを投入する。一通り混ぜたら、薔薇と白百合を引きちぎり、ブラックペッパーと金木犀のスパイスをふりかける。再び蓋をし、沸騰するまでひたすら待つ。

「よし、できたできた。ベアン、ボウルを用意して」
「はあい」

完成した喜びが、どうやら叱られる恐怖を打ち消したらしい。ベアンは嬉しそうにスキップしながら食器棚へ向かう。真ん丸の、底の深い陶器のボウルに材料を流し込んでいく。同じく真ん丸の蓋をする。

「これをね、かっちかちに冷凍するの。それで、町のかまどに入れて、宇宙に打ち上げるの」
「父さんにばれないかなぁ」
「何回言わせるの。器はみんな一緒なんだから、ばれないに決まってるでしょ」

ネヴァがわずかに声を荒げて反論した時だった。ギィと扉が開く音がして、野太い「ただいま」と言う声が響く。姉弟が慌てて鍋やら食器やらを片付けるよりも、父親の帰宅の方が圧倒的に早かった。

寸胴鍋や散らかった材料を見て、父親はわずかに顔をしかめる。二人は判決を待つ囚人のように縮こまり、父親の顔をそっと伺った。ふう、と呆れたようにため息をつき、父親は怯えた子供達を安心させるように笑った。

「見せてごらん」

優しい父親の声に逆らう気など毛頭ないネヴァはこぼさないようにそっと、けれど迅速にそれを差し出す。蓋を開けて、それをじっと見つめる父親の瞳は真剣そのものだった。弟はただ不安そうに、姉と父親を交互に見つめた。

「うーん、それに、粉末の割合も間違っているようだね。ダイヤが強すぎる」
「分かるの?」
「そりゃあね。これは宇宙に持っていけない。しょうがないから庭先で打ち上げてしまおうか」

そう言って父親は二人を庭へ連れ出した。まだ日が完全に落ちてはいなかったが、打ち上げるのに支障はないだろう。父親は庭に置かれた、煙突付きのかまどに火をくべ、ボウルをそのまま入れてしまう。

数秒の沈黙の後、煙突からポンッと軽快な音を立てて勢いよく青い光が飛び出していく。強烈な光だった。ネヴァとベアンは小さく歓喜と興奮で悲鳴をあげた。あれが自分たちの作ったものなのだ。そう思うと心が弾む。例え宇宙を飾るものじゃなくても、作ったものが空を彩ったのだ。その事実が二人を異常なくらい興奮させた。

銀色に輝く火花がばちばちと夜の空気を威嚇し、澄み渡った青空よりも、揺らめく深海よりも深い青が線を描いた。鮮烈な青色はすぐさま霧散し、虹色のグラデーションを映し出す夕暮れと馴染んでいく。きっとこの光景は一生忘れない、ネヴァはそう強く思った。

「うちのはね、ほのかな灯りなんだ。雪に反射する街灯みたいな、淡い光さ。弱々しく、けれど力強く色づく青のね。冷たい夜空に良くなじむ。あれはちょっと、色が強いね」

父親がそう言いながら指を指した灯りは、もはや青い線を空中にわずかに残しただけだった。夕暮れの赤に負けてしまい、その灯りはもう視認できない。ぱらぱらと、銀色の光の残骸だけがいくつか散って、舞っていく。それを見上げている弟は残念そうに目で追った。

「あーあ、消えちゃった」
「しょうがないよ、ベアン。うちの庭かまどじゃ火力が足りないんだ」
「そうなの?」

ベアンがそう尋ねることが嬉しくてたまらないらしく、父親は満面の笑みで大きくうなずいた。彼はまだ幼いが、ゆくゆくは川辺家の星作りを一任される立場にあるのだ。もはや自分には関係のないそのことに、ネヴァは寂しくもあったし嬉しくもあった。

「ベアンにもそろそろ川辺の星を教えなきゃいけないね。レシピはネヴァが覚えていたんだろう?」

父親からそう問われ、ネヴァは誇らしげににやりと笑った。

「うん。あたし、もうすぐ川辺じゃなくなっちゃうでしょ?そうしたら、うちの星は作れないじゃない。だからね、その前に川辺の星を作りたかったの」
「そう思ってくれるのは嬉しいけれど、レシピ通り作れなきゃ駄目だなぁ」

そう言って微笑む父親からネヴァは顔をそらす。口を尖らせて、そっぽを向いたまま言い訳を口にした。

「だって、煮込んじゃえば一緒だと思ったの」
「飯島さんの家のはもっと明るいんだよ」

ネヴァの頭をおもむろに撫でながら、父親は優しくそう言った。

「赤に近いオレンジで、とにかく目立つ。夜の海に映ると美しいんだが、灯台の明かりや夜明けの太陽に間違えられないように微妙なさじ加減が必要になる。これもレシピ通りやらないと出ない色だ」
「父さんはあたしにばっかり厳しい……」
「飯島さんちがネヴァに甘いからね。うちでしっかり教育してからお嫁に出したいんだよ」

先程よりも乱暴に、娘の頭をがしがしと撫でる。すっかりふてくされてしまったネヴァの機嫌をとるように、父親は娘をそっと抱き寄せた。

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