これはいつ頃のことですか

2012-12-20
story

これはいつ頃のことですか

わたしの世界が滅亡したのはついさっきのことでした。

とても好きだと思える人ができたのが七ヶ月前のとてもとても暑い日。

付き合いだしたのはそれから二ヶ月が過ぎた頃です。

その人が天涯孤独だと知ったのはもう少し前でしたか。

そうと知ってからは、彼のどんな表情にも哀愁が漂っているような気がしてなりませんでした。しかしそれもわたしが生み出す幻想のようなもので、そんな哀愁なんてものは実際なかったように思います。彼はそれほど悲観していませんでした。彼は生まれついた瞬間からの孤独者でしたので、それを悲しいことだと思っていなかったのです。家族のいる誰かを見つめる時も、ただ無感動に見つめていました。

それはまるでショーウインドウ越しのマネキン、もしくは動物園や水族館に展示されている生き物を見るような目つきです。生まれた瞬間から欠損している彼が、わたしにはどうしようもなく魅力的に映りました。

とても穏やかなのです。生まれ持った欠損も、冷酷さも、全てを覆い隠せるほどに彼は優しい人でした。

しかし本当は平凡というものに憧れているのです。そういうものを選び取れない自分の本質に気付きつつも、そういうものを欲しがって駄々をこねる子供のような人なのです。そういう気質はわたしと出会った当初からありました。わたしのような、普通の両親に育てられ、普通に学業をこなし、平凡な収入で平穏に生活している平均値のような女に惹かれたことからも分かります。そんなわたしですから、彼と付き合う時には喜びよりも困惑の方が大きかったのです。

彼を疑うこともありました。けれど、そんな彼の本質を見抜いてしまえば納得がいきます。大抵の人間が「無個性」、「没個性」と断じてしまうわたしの全てが、彼にとっては重要なものだったのです。

わたしが彼の深層に触れるたび、彼もわたしに心を許すようになりました。とても、居心地の良い関係でした。暖かくて、嬉しくて、とても幸せな毎日でした。彼がいるだけで全てを愛せるような気分になります。しかし、と言いましょうか。やはり、と続けましょうか。わたしはどうしても次の展開へ進むための言葉選びが上手くできません。

とにかく、ある晩のことでした。

いつものように彼の狭い部屋で、わたしたちは隣り合って夕食をとりました。そしてリビングにいる彼と時折会話をしながら、食器を淡々と洗っていたのです。背後に気配を感じ、喜びをどうにか打ち消しながら振り向きました。当然ながら彼が後ろからわたしを抱きしめます。何かわたしが言葉を発しようとしたときのことです。

「母親って、こんな感じなのかなぁ」

そう呟いたのです。もしかすると、「お母さん」と言ったかもしれません。もう、上手く思い出すことができません。

わたしはハッとしました。彼の一番奥深いところ、業深い、罪深いところにまで到達したことに気付いてしまったのです。そして彼が無自覚なまでに家族を追い求めていることを知りました。それはわたしが恐れていた一番最悪な展開です。

確かに彼は家族を欲していました。彼は家庭が欲しかったのです。父親としてではない、子供として、家庭を求めたままだったのです。わたしと家庭を築くのではなく、わたしに保護され、愛され、そして旅だっていきたいと思っていたのです。

それを思い知られてしまったのです。彼の愛情が、母親に向けているそれが、わたしを責め立てます。彼は生まれてすらいなかったのです。全ての願望をわたしに押し付けていました。とても苦しい毎日が続きました。彼に自覚はなく、わたしを本当に愛してくれています。結婚指輪も渡されました。結婚式の相談もしました。これは本当に苦しかった。彼には終わるつもりがないけれど、わたしはどんどん別れが鮮明に見えてしまうのです。

わたしは愛しいという感情をこねくりまわさねばならなくて、しかしそれはとても柔らかなところにあるので、いじくるにはとても傷みを伴います。

きっと上手くいかない。彼の心に触れれば触れるたび、愛しさと絶望がわたしを焦がします。けれどもわたしから終わらせることはできません。そんなことは、どうしたってできませんでした。絶望を知るたびに、わたしが心変わりすることを望みました。それだって、上手くはいきませんでした。わたしはただ、彼がわたしの元から去っていくのを見つめるしか残されていないのです。わたしの平凡で平穏な人生は、ただそれのみを待ち望んでいるようでした。愛しい感情だけが残り、わたしは抜け殻にでもなったような気分です。

そうやって、わたしの世界はゆるゆると終わりました。

それから二日後、とてもとても暑い日です。突然、ワイドショーの画面が切り替わりました。大げさな黄色い文字に、「滅亡」という文字が浮かびます。明日未明、世界は滅亡してしまうというのです。

明日は13日の金曜日です。一部の人々は発狂ものでしょう。恐怖と、歓喜で、ワイドショーが騒ぐのを想像する。どんなお祭り騒ぎよりも面白そうです。携帯電話が着信を知らせます。夫となった彼からでしょうか。彼もこの速報を見たのでしょうか。それとも、他に良い人がみつかって、わたしに別れを告げようと言うのでしょうか。やはり彼は冷酷です。滅亡するまで、待ってくれてもいいものを。

まぁ、わたしには関係ないことだけれど。