バベル以前

2007-03-19
story

バベル以前

言葉を持って生まれた、と認識していいのだろうか。望んでそれを手にしたのだろうか。わたしは、もっと他に便利なツールがあるなら、ぜひともそちらに切り替えたい。難解で抽象的な文字を吐くのにうんざりしてきた。何回も中傷されて傷つくのにもうんざりだ。安易な言葉を使う馬鹿者も、大層な御託を並べる馬鹿者にもいい加減飽き飽きしている。相手の気持ちを推し量って、嘘の塊を突き出すのも、なかなかストレスがたまるものだ。言葉だけで全てが円滑に済めば良いが、そうもいかない。顔の表情やら周りの空気も、言葉に沿っていなければいけない。これが一番のストレスで、従弟なんかは十円ハゲが出来た上、赤ん坊に戻りたいと毎日叫ぶ始末だ。また、その兄は植物になって、日々光合成にいそしんでいるそうだ。なかなか素敵だとは思うけれど、そうまでしてストレスを払拭する気にはなれない。ストレスと上手く付き合っていくのも大切だ。恋人のように優しく扱わなくてもいいので、これは案外簡単だろう。誕生日や、記念日を記憶する必要もないのだから。ストレスにそんな日があるのか疑問だけれども。最近では、とある計画が着々と進んでいるらしい。たくさんの人間が、ある場所で開かれた会談に出席した。天にも届くような塔を作ろうと言うのだ。まるで子供の言うことのようだったが、近所の大工が言う分には、事実らしい。何千という人が工事にかかり、その数倍の人々が机の上で設計について話し合っているそうだ。中にはストレスで、その計画から降りる人がいると言う。なんとも恐ろしい計画だ。言葉を最大限に活用しようというのだ。わたしには分かっている。わたしたちは言葉を持たされたのだ。そんな言葉から発生するこの計画が、上手くいくはずが無い。言葉は彼らの夢想する塔より高く響き、ついには神にまで聞こえているのだから。