寂しいだけのエンドロールごめんね、おやすみ

2011-12-01
story

寂しいだけのエンドロールごめんね、おやすみ

北村奏という少年を形容するとき、大抵の人は『無口』という単語の後に疑問符を付けたがった。

それは彼が一切言葉を発しないことに由来する。口数が少ないのではない、口下手なわけでもない。まさに口を無くしてしまったかのように、奏は一切の音を発しないのだ。

出席の合図は挙手のみ、授業中の質問は全て黒板に出て回答する。雑談は一切しない。最低限のコミュニケーション手段は筆談だ。驚くほど速く、そして美しい字を専用のノートに書き連ねる。

学校側は事情を把握しており、また彼自身の素行には何の問題もないため、それら全てを許容している節があった。生徒たちも、意外にもそれを受け入れているようだ。

それも、全ては彼の容姿によるものが大きいだろう。

まだ高校一年生にしては大きな体、そして切れ長で無愛想な目は人を遠ざけた。かっこいいともか弱いとも言えない外見が、この場合は幸いだったと言うべきだろう。もてはやされたり、からかったり、いじめの対象となるには、彼はあまりにも規格外だったのだ。

むしろ日本人離れした色素の薄い髪は、敬遠の対象すら入っていた。本人は耳にしたこともないが、「北村奏はマフィアの息子だ」とか、「中学時代、彼をいじめていた教師や生徒が何人も行方不明になっている」と言った噂が学校中に広まっていたのだ。

そんな噂と面倒な対話手段も手伝って、北村奏と積極的に関わろうとする人間は少なかった。

もちろん、中には奇特な人物もいる。その中の一人が橋詰佳奈だった。

「名前、似てるね」

席が隣り同士になった時、彼女が開口一番そう言ったのを奏は今でも覚えている。

テニス部に所属する彼女は大きな声で良く笑い、良く話す。クラスの中心人物というわけではないが、誰からも好かれ、快活な笑顔は日焼けした肌に良く似合う。

その時も、太陽に良く似た笑顔が奏に向けられていた。話しかけられるとは思いもしなかった奏は、佳奈への返答として、ノートの隅に「うん」とだけ書いた。

それを見て、佳奈は「ねー!」と二人だけの雑談にしては大きな声で笑いながら同意し、返してみたのだ。それに少し驚いたのも、奏は良く覚えている。

振り返ってみれば、覚えていることばかりだ。

初めて二人で日直をした時、奏は初めて佳奈に声を聞かせた。

話してやろう、という気持ちはなく、単に二人きりで「話せる環境」になったから声を発しただけだった。

奏だって、何も筆談と言う面倒なツールを好き好んで使っているわけではない。

話せるのなら、それに越したことはない。話せないから、あえてそれに甘んじているだけで。話したくても、声が出ない。言葉が浮かんでも、それが喉から外へ行こうとしない。集団の中で声を発することが恐ろしかった。二人きりでなら、どうにか担任とも会話できる。友人とだって、きっと。

誰が好き好んで、奇異と同情と羨望と嫌悪の眼差しを受けたがるのか。本当なら、出来るものなら、クラスメイトと同じように声を発し、笑いたかった。それができないのだ。

そういうジレンマをクラスメイトは理解しない。二人きりで話せるのなら、普段から声を出せと言う。奏はそんなやりとりが嫌で、今まではずっと「無口」を貫いてきた。けれど、佳奈の持つ大らかさが、奏の躊躇いを払拭してくれた。何故だか、声を発してみようと言う気分にさせた。ごく自然に、そう言う環境を彼女が整えていたのだ。

「今日の日誌なんて書こっかなぁ」
「古典の小林が舌噛んだって書けば?」
「えー?ふっ、あれ、おかしかったよねえ。でもさぁ、今思い返すと何がそんなにおかしいのか思い出せないよねえ」

案の定、佳奈は誰もいない教室で彼が平然と言葉を発しても、いつものように笑って返事をした。驚くことも、疑問を投げかけることもしなかった。

そんな彼女とは、今も隣の席同士である。

***

「学校はどうだ」

ソファに寝そべり、バラエティ番組を見ている奏に向かって、父がそう尋ねる。穏やかな物言い。特に顔色を伺うような、気を遣うような雰囲気もない。ただの日常会話だ。奏は父の優しい無関心さが好きだった。離婚をし、母がいなくなってからは一層それがありがたい。信頼されているのだと、愛されているのだと、父のちょっとした言葉から感じられる。

「普通かな。いじめられたりもしてないし、先生も割と普通にしてくれてる」
「そうか。友達は出来たか?」

そう来るか、と奏は一度だけ後ろにいる父を見た。

「うーん」

奏が作った、もう既に冷めきったオムライスを父がレンジに入れる。ぴ、ぴ、と電子音が会話の空白を埋めた。

「いないよ。でも、隣の席の子はすげえ声かけてくる」

それをどう受け取ったのかは分からないが、父はやけに嬉しそうな顔をして、「そうかそうか」と何度も何度も繰り返した。

その顔を見て、高校に行くことを嫌がっていない自分に気付く。奏は心の中で、父のように「そうか」とつぶやいてみた。 むしろ、彼はほんの少しだけ学校が楽しいと思うようになっていたのだ。

それでも、音楽の時間は彼にとって苦痛で退屈な時間であった。

正当な理由がある奏には「歌う」ことが免除されるが、周囲からの目線が一層厳しくなる。それが面倒だ。速記や筆談が珍しがられるのも、一学期の内だけだと彼は経験上理解している。どんどん疎ましくなるものだ。自分たちとは異なる存在が。優遇されているようにみえる、この環境が。

学校中とまでは行かずとも、クラス中が彼を腫れもの扱いする中で、佳奈だけがいつまでもキラキラと目を輝かせて、話しかけてくるのだった。変わらないそんな態度が奏にとってありがたかった。

奏が文字を書いても、毒を吐いても、冗談を言っても、嬉しそうに、笑う。二人だけなら一言二言話すことも苦では無かった。佳奈が筆談と変わらずに反応するせいかもしれない。文字でも声でも、どちらでも構わないのだと言う佳奈の配慮が言外に滲み出ていた。

もしも「皆とこんな風に話せればいいね」と彼女が言ったなら、奏は口を閉ざしただろう。文字通りに。

誰もいなくなった放課後、彼女が部活に行くほんの数分のやりとりが恒例になっていく。人がいて話せないことも多かったが、それでも良かった。いつだって筆談していたのだ。何だって話した。どんなことだって話すことができた。

その日は、試験の最終日だった。午前中で授業が終わり、クラスメイト達はさっさと帰宅してしまっている。二人はいつもよりも多く、長く会話した。

「ピアノ、もう弾かないの?」

きっと彼女はどこかから、「元天才ピアニスト」の噂を耳にしたのだろう。奏は、そんな名前で呼ばれることが堪らなく嫌だった。もういらないものだった。そんなものは、出て行った母が一緒に持って行ってしまった。
普段なら不快になる内容にも、奏は平然と返した。きっと無邪気な佳奈の顔がそうさせるのだ。

「うん。もう弾けない。嫌なんだ。自分の音が、誰かに影響を与えること」

そう言って奏は懐かしい母の姿を思い返す。

ピアノを弾けば、母は喜んだ。ピアノを選べば、母は喜んだ。ピアノが好きなのか、分からない。でも母さんは喜んでくれるから。そう父に言えば、悲しそうに笑って頭を撫でてくれた。

「おれがピアノを弾いたから、親は離婚したんだよ」
「そんなことないのに」

間髪いれずに佳奈はそう返した。それに、何だか奏は救われた。彼女はうーんと、うなりながら、奏の方を向いてにっこりとほほ笑んだ。

「奏くんはさぁ、もっとガーンと意見していいよ!無口でも、もっともっと我儘でいいんだよ!ガツンと!バシンと!」
「…擬音ばっか」

いつの間にか彼女につられて奏も笑ってしまっていた。それに気付いて、奏はひやりと熱が冷めていくのを感じる。急激にそれは訪れた。

変わっていく。例外なんていなかった。誰だって変わっていくのだ。

それを当然だと奏はもう知っているが、やはりそれを間近で見ることは耐えられない。慌ててチョークを掴み、奏は黒板に書き殴っていく。

「ごめん、用事があったんだ。帰るよ」

いつもよりも乱雑なそれに、佳奈は気付かなかった。

「ごめんごめん、長話しちゃったね!また明日!」

何故、急に黒板に書き出したのか。彼女の言葉が終わるよりも先に彼は駆けだしてしまったのか。曇りの無い笑顔でそれを見送った佳奈はそんなことを少しも不思議に思わなかった。

気付いたら、奏は口を閉ざしていた。もちろん、佳奈に対してだ。言葉数が減った。文字数が減った。笑顔が減った。会話が減った。それに便乗するかのように、席が離れた。大抵は奏の隣りを嫌がる女子が「代わって」と佳奈の元に行くのだが、今回は違った。顔を合わせることも少なくなった。

そこで、ようやく佳奈は気が付いた。けれど、やはり何も出来なかった。無神経な自身の笑顔が彼の何かをえぐったのかもしれない。そうだとしたら、彼女には何も出来ない。

きっと、奏は傷付いてきた。何度も、何度も。言葉も失くしてしまう程の悲しみを彼女は知らない。一緒に笑ってくれる度、言葉を発してくれる度、かさぶた程度の役割は果たしているのかもしれない。そう思う瞬間もあった。けれど、今となっては何も出来ない。

痛みに耐えるような奏を見る度に、これ以上苦しめるような真似が佳奈には出来なかった。声をかけて、無視されたら。きっと痛いのは自身の胸だけでないことを佳奈は分かっている。

何も出来ることがないのだ。こうなってしまっては。

奏にも、寂しさが募る時もあった。佳奈が何か言いたそうにこちらを見る時は、いっそ「どうしたの?」と声を出してしまいたかった。けれど、奏は何も言わなかった。言えなかった。ずっと佳奈の視線が張り付いたままだ。それが近寄ることも、遠ざかることもない。

おれは、喋れない。

言い訳のように奏は何度もそう心の中で呟いた。佳奈が周囲に溶け込むようにいなくなるのが嫌だったが、奏は何もできずにいた。

何が怖いのだろう。何に気が付いてしまったのだろう。何に遠慮しているのだろう。きっとどちらかが胸の痛みに耐えればいいのだ。どちらかがわずかにでも手を伸ばせば解決する問題なのだ。

二人はただ自身の涙をぬぐうばかりで、その手を前に伸ばしてみようなど少しも思わなかった。