広大な砂漠地帯に帝国図書館はあった。

後世に全てを遺すと言う名目で、世界中の『本』と名のつくものを収集するためだけの場所。一般人は入館することすら許されないし、誰であろうと貸出には一切応じない。大理石を使ったらしいイスラム様式の建物には職員以外立ち入り禁止だし、立派な、何に使うか分からない庭園で職員が休む姿など一度も見たことがない。

海が近く、すぐそばには港町もあるが、海水浴を楽しんだ覚えも、買い物を満喫した覚えもない。私たち職員に、そんな自由はないのだ。ここでは国のトップも罪人も万人も全てが等しい。

ここは館長の『帝国』だ。

私はコツコツとヒールの音を響かせながら出勤する。そばかすだらけの顔には念入りに化粧を施したし、男性よりも短い黒髪は軽くセットしてある。 赤いチェックのシャツに細身のジーンズと言う格好が許されるのもここならではだろう。

守衛に挨拶をしながらスリッパを一足受け取った。そしてそれを持ったまま、壁中に敷き詰められた本の背表紙にちらちらと眺めてロビーを横断する。有名な文学作品から、無名の詩人が遺した詩集、論文から楽譜まで、『書籍』という形式をとっているものは全てここに置いてある。見覚えの無い題名が少し増えたようだ。文学であればぜひ一度眼を通しておきたい。

館内は沢山の人で溢れていた。本の回収の為に忙しなく出ていく職員や、破損した本を補修している職員、ビブロス文字を始めとした未解読文字と格闘している職員もいる。

私はそれを他人事のように見ながら館長を探しまわった。彼に呼び出されているのだ。

帝国図書館で起こること全てを館長が直接指示し、把握している。恐るべきことだと思う。 色素が薄い金髪に、日本人らしい茶色い瞳、成長期を迎えたとは思えない程に小さく、がりがりの体。外見こそは10代だが、実年齢は誰にも分からない。 「世界中の本を僕のものにして、ここに集約するのが夢」と言うその表情は少年が夢を語るそれではなく、大人が野望を述べる時のそれだった。

彼は間違いなく館長だ。そして、この帝国の独裁者でもある。本に対する知識は誰よりも豊富で、本への執着、独占欲は私ですら狂気を感じる程である。

螺旋階段を昇り、二階の突きあたりの部屋へ向かう。そこが館長の部屋だ。彼が個人で所有している本で溢れかえっているそこで、読書でもしているのだろうと思った。

しかし、その途中の通路で見覚えのある姿を見かけ、すぐさまそちらに方向修正する。

サイズの大きいグレーのセーターに黒のショートパンツとトレンカという、男性らしらからも少年らしさもかけ離れた奇抜な出で立ち。

カミガヤツリ館長は通路に寝そべっていた。

「また裸足で歩き回りましたね」

そう言ってスリッパを投げると、それは館長の小さな背中に直撃する。遅れて、「いたっ」と言う小さな声。スリッパを拾い上げながら、彼は寝そべったままこちらを向いた。

「ササミちゃん、また背が伸びた?2mくらいあるんじゃない?」

170cmの私と館長が並ぶと、その身長差は恐ろしいことになる。彼はどうやらそれが気に入らないらしい。嫌味のない嫌味には飽きてしまった。私は館長の言葉を無視する。

「おはようございます、カミガヤツリ館長。スリッパ履いてください」

上半身を起こし、渋々ながら館長はスリッパを履いた。

「君の今日の仕事は何だったっけ?検品だったかな?」
「はい。昨日納品された新本の検品と希少本のチェックです。最近は写本に騙される職員も多いので」

大して困った素振りを見せないまま、館長は再び通路に横になった。

「困るね。僕は模造品には興味ないんだよ」
「お伝えした通り、私は今日忙しいんです」
「うん。それはラガーブくんにさせておいてよ。君はこっち。僕と一緒に本の回収だよ」

またですか、と言うと館長は「まただよ」と言って笑った。そう言われるのも何度目か分からない。その度に、私は館長の手伝いに動くはめになるのだ。全ての予定を返上して。うんざりしつつも、楽しみにしている自分がいる。館長自らが出向くと言うことは、それだけ貴重な書物なのである。それだけで、高揚する気分を抑えられない。

「今度はねぇ、呪いの本だよ」
「絶対いやです行きません」
「君は本当にオカルトの類が苦手だな」

そう言って笑いながら、館長はぶかぶかなセーターを腕まくりした。病弱そうな、白い肌だ。私も決して健康的とは言えないが、館長のそれは常軌を逸している。幽霊のように見えて、私は思わず身震いした。

怖いものに理屈はない。理屈の付かないものは怖い。それだけだ。

「まぁ、いいや。これは仕事だ。勅命ってやつ?」

そう言って、館長はごろごろと寝転がりながら話し出した。私は近くにあった脚立に寄りかかってそれを聞いた。割りきれないような年齢では無い。出来れば避けたいが、仕事であれば仕方がないことだ。手帳を取り出して、淡々と流れる館長の言葉をメモする。

「作家の本名は古謝 湖(コジャ ミズウミ)。沖縄出身、28歳、女性。彼女の作品は17冊の部数限定で販売されてる。しかも全部彼女の手作りなんだそうだ」
「はぁ、17冊。売れ行きやらコストはともかく、館長が欲しがりそうですね」
「マニアにはかなり有名らしいね。その分高額だけど、やっぱり欲しいなぁ。そこでさ、ちょっと最新作の行方を調べてみたんだよ」
「17冊中、いくつ見つかったんです?」

メモの手を止めて、館長の方を見る。ちょうど足をバタバタさせて、スリッパを飛ばしたところだった。しまったという顔をしている館長を睨みつける。館内中に足跡をつけるので、私たちが掃除をしなければならないのだ。わざとらしい咳を数度繰り返し、先程の口調で館長は言った。

「全ての所在が確認できた。3冊はそれぞれ古本屋。残りの14冊は、著者の手元だ」
「はぁ?何でです?」
「呪いだからだろう」

思わず首を傾げる。呪いと言う言葉がどうにも不自然に聞こえた。淡白な館長の口から聞いたせいだろうか。怨念めいたものも感じられず、狂気じみたものも見当たらない。

「その辺は本人に聞いてみよう。行く前に君を怖がらせてもしょうがないし」

そう言って、館長は立ち上がった。嬉しそうに駆けていく館長を慌てて追う。事態はあまり把握できていない。

呪いとは、どういうものだろう。

「帝国図書館ですか、はぁ、あの悪名高き…」
「はい、僕が館長のカミガヤツリ。こっちは秘書のササミちゃん」
「司書のマシ・ササミです」

古謝湖はそう呟きつつも私たちを自室に招き入れ、コーヒーを用意してくれた。『本狩り』だなどと批判されている私たちに、ここまでのもてなしをすることは珍しい。思わず、肩に力が入ってしまう。隣にいる館長は背もたれに寄りかかりながら、砂糖を大量投入している。特に緊張もしていないようだ。

スプーンで念入りにかき混ぜながら、一口飲んではまたかき混ぜる。その度に館長は文字通り苦い顔しながら、またいつものように唐突に切り出した。

「国からの命令なんで、強制ですけれど。こちらとしては穏便に、寄贈と言う形をとって頂きたい」
「良いですけれど、分かってます?私の本が何て呼ばれているか」
「呪いの本ですか」

私の言葉に、にやりと古謝は笑った。真っ黒な髪を一つにくくり、色黒い肌に大きな瞳はまさしく沖縄県民の特徴だろう。一見すれば、爽やかでスレンダーな美女である。しかしこの笑みだけはどこか陰鬱で、魔性を帯びているように見えた。

「そうですよ、これはね、本当に呪いの本なんです」

そう言って彼女は本棚から一冊の本を取り、テーブルの上に置いた。館長はコーヒーを乱暴にティーソーサに置くと、身を乗り出す。その瞳はぎらぎらと怪しく輝き、欲が伺える。物欲なのか、独占欲なのか、私には判別できない。手袋をはめ、呪いの本に平然と触る館長は本当に怖いもの知らずだ。彼が恐怖している様など見たことも無いし、想像もできないが。

私は館長の横からそっと本を覗き込むだけにした。呪いと言うにも、希少本と言うにも、その外見は平凡だった。ごく普通のハードカバーの本に見える。こちらも、私には良さが分からない。そもそも、本は中身が全てだろう。盛り上がる二人に、私は多少距離を感じる。

「随分こだわっているようですね。しかし、とても丁寧だ」
「それはどうもありがとう」

古謝はそう言って優雅に微笑むと、浅黒く細い指でぺらりとページをめくった。館長と私に見えるように、こちらにそれを差し出した。

「奥付ですね。あ、これ…」

館長が指差したのは、版画のように印字された四行詩だった。思わず私も体を前のめりにする。館長が体を傾けて場所を譲ったので、私もそれをじっくりと眺めた。赤黒いインクで押されたらしいそれは、かなり古めかしい。

「これに触れた者、雫となりて、9413、水に還る…ですか。本当に細部までこだわってるんですね」
「いや、違うね。これはブックカースだ」 

耳慣れない言葉と深刻そうな口調にぎくりとし、館長を見る。口調とは似ても似つかない嬉しそうな表情だ。ぎらぎらとした瞳の輝きが一層強まった気がする。どうやら本気で欲しくなってしまったらしい。

「ブックカース?何です?」
「君はもっと書物について勉強すべきだよ」
「重要なのは物語ですから」

唐突な館長の説教に、私は平然と言い返す。あっそ、と言いながら館長が金色の輝く髪を撫でる。

「中世で使われていた、盗難防止の警告文さ。盗人は死ねってね。まぁ、いわゆる呪いかな」
「今で言う防犯シールですか」
「君には浪漫ってものもないね」

にこにこしながら呆れたような声を漏らす館長は無視する。 私は事実を確認するかのように古謝の方を見た。

妖艶な顔で、彼女はじっとこちらを見ている。それがとにかく人間に見えなくて、ぞっとした。微笑んでいる、けれど少しもそこに感情はない。血の通っていない顔。これは、まるで、マネキンか何かのようだ。何者でもない彼女の顔を私は直視できなくなった。

「私はこれに呪いを込めました。私以外の人間がこれを所有したら死ぬように、私の元に戻ってくるように」
「なるほどね、だから14冊も貴方の手元にあるわけだ。返品だか、買い占めだか知らないけれど」

館長の視線だけを頼りに、私は話を追っている。彼は古謝を真っ直ぐに見据えた上、にこにこと愛想よく対話しているのだ。これほど、館長を頼もしいと思ったことはない。

対面する古謝は、身動き一つしていないようだった。ただただ静かに微笑み、饒舌に語っている。

「私の書いたものが、沢山の人に読まれる。これは嬉しいことです。けれど、私の本に他人の手が触れることは許せない、私の本が他人の手に渡るのが許せない。でも、出版社がそれを許してくれなかった。勝手に書籍化されるよりは、自分で作ると言ったんです。乗ったのはあちらでしたよ。17冊しか作らないと言ったら、プレミアが付くからいいだろうって」

だったら書かなければ良かったのに、とは言えなかった。いつの間にか彼女の口調は冷静さを失い、ヒステリックなものになっていたからだ。あまり神経を逆なでするようなことは言ってはならない。

「確かに、私の元には14冊あります。残りの3冊はどこでしょうね、きっと持ち主を転々としているんじゃありませんか?」
「うん、古謝さんの言う通り。持ち主は何人も不審死しているね」
「こ、これって警察に通報しなきゃじゃないですか」

思わず私がそう言うと、疑問を投げかけたのは館長だった。

「どうして?古謝さんは何もしていないじゃない」

きょとんとした表情は、本当に分からないと言った様子だ。

「だって、これ、このブックカースのせいなんでしょう?人が死んでるんですよ?」

そう言うと、くすくすと笑って館長は体を揺らした。

「それを実証することは難しいよ。それに、僕、オカルト好きじゃないし」

確かに、馬鹿馬鹿しい話だ。呪いなんてものがあるはずはなく、死者が出たと言うのも単なる偶然だ。人はいつか死ぬ。人は必ず死ぬ。不自然なことではない。冷静にそう諭され、私はようやく平常心を取り戻す。

「それじゃあ、これ、買い取るんですか」
「うん。そりゃね。国に申請もしちゃってるし。ほら、ササミちゃんも仕事しておくれよ」

あっけらかんと言い放ち、館長は頬杖をつきながらテーブルを何度も叩く。私は寄贈に関する書類を数点鞄から出した。ようやく、私の仕事ができる。

「古謝さん、こちらの同意書にサインと印鑑をお願いします。あ、実印で」

真っ直ぐに、館長のように古謝を見詰めてはっきりとそう告げる。それが仕事だ。そう割りきれるのが私だ。興奮気味だったらしい古謝の顔が赤みをさらに帯びていく。険しい表情で、今にも私たちを呪い殺そうとしているようだ。

「呪い殺されますよ?さすがに、私も顔見知りに死なれてしまうと心苦しい」

ぎり、と歯ぎしりが聞こえてきそうだった。帝国図書館の悪評を知っているのなら、もう白旗を上げるべきことは分かっているだろうに。館長はどんな手段を使っても、あらゆる書物を収集する。時には、法そのものを捻じ曲げて、過ちを正しさに変えてでも。呪い如きが、それを妨害することなどできやしない。

「呪いがどうだって?それで僕が止めるとも思っているのかい?おかしいな、僕らの悪評はそんなに些細なものだったろうか」

にまりと、悪役に相応しい顔で館長が笑う。そしてテーブルに置かれた同意書たちを乱暴に掴むと、古謝の目の前でびりびりと細かく破いた。呆然とする古謝に、館長は指をさしてさらに畳みかける。

「仕方がないな。僕は心を鬼にして、権力のイヌとなろう。帝国権限だ。ああ、仕方ないなぁ。古謝さんが悪いんだ」

ぎらぎらとした瞳はそのままに、嬉しそうに笑う。悪意しか見えない顔だ。相変わらず口調と表情が重ならない。私はじっと息をひそめて終わりを待った。ここも、もう、彼の舞台だ、帝国だ。部外者となった私はただ静かにしているべきだ。

「古謝湖、君から君の作品における所有権を奪うよ。これから先、君がいくら物語を紡ごうが、本を生み出そうが、それは全て帝国図書館のものだ」

その瞬間、古謝の顔から絶望と憎悪と嫌悪と悲哀と虚無を見出した。私が気付いたのはそれらだけで、恐らくもっと多種多様な感情が彼女の胸に湧きだしていたのだろう。

「うん。そうだな、ブックカースは『万物は渇き、一度きり、砂丘の城よ、そこでは全てを絶ち切る』なーんて詩で隠しちゃおうか」

本の所有者が収集の際に抵抗し、暴れることは良くある。それを事前に防ぐのも、どんな状況でも本を収集し、事態を収拾することも私たちの役目だ。能天気な館長の声に、水を差されたのだろう。古謝は視線を落とし、それ以上何も言おうとはしなかった。

「帰ろっか、ササミちゃん」

私たちが立ち上がると、古謝は俯いたまま絞り出すように言葉を発した。

「こんな図書館、こんな制度…長持ちも長続きもしませんよ。いつかは灰になり、消えてしまう」

それを気にすることなく、館長は本棚にあった14冊を丁寧な手付きで空のトランクに詰め込んだ。嬉々とした様子は幼い。私は手伝うこともせず、残酷な結末をじっと噛みしめた。

「最後まで全ての本が僕のものならそれで構わないよ」

あっけらかんとした、能天気な声、表情。子供らしいカミガヤツリ館長に、私はますます笑みを深くする。この後、きっと館長はすぐに残りの3冊も手にするだろう。何の障害もなく、何の躊躇いもなく。

ああ、歴史上のどんな残虐な王も、彼には敵わないだろう。私は歓喜で体が震えるのを感じた。紛れもない悪だ。誰からも好かれない。誰からも褒め讃えられない。

薄い従属の皮を剥げば、万人が彼に敵意を抱く。孤高の独裁者だ。リア王か、それともユビュ王となりえるか。私は愛らしくも恐ろしいカミガヤツリ館長の行く末を見届けたい。

私が好きなのは、圧倒的なまでの負の引力に包まれた悲劇である。