帝国図書館の中でも一際暗い一室で、それは行われていた。本棚は無く、仮眠室として使われる事の多い部屋だ。

ドアは開いたまま、部屋の隅で段ボール箱が十数箱も山積みにしてある。朝方から運び込まれていたそれの中身が思い当たらず、首を傾げて眺めている。それは半ば確信した疑問であった。重要なのは中身ではなく、持ち込まれた理由なのだ。

でなければ、このように放っておくわけが無い。味方が多いとは言えない組織である。不審物には厳重な警戒をしているのだ。

運搬記録の詳細は、私の頭の中に刻み込まれている。ここ数日は大きな運搬物の予定にない。予定に無い事をねじ込める人物は、この帝国図書館にはたった一人しかいない。そんな簡単な推論だった。

たった一人の、この帝国の、小さな王の仕業である。

気がかりなのは、何故、こんなものを館長が取り寄せたのかである。

薄暗い部屋で、動く影、その後に段ボール箱を開ける音がする。その合間に聞こえるペタペタと言う音に、ササミは深いため息をついた。真っ白な手袋をはめ、奇怪な本を丁重な手つきで扱うカミガヤツリ館長が、うっとりとした目でそれを眺めている。

「下手装本ですか」

ノックもせず、部屋の入り口からそう尋ねても、館長は驚く素振りすら見せなかった。

「うん、そう。金箔と…何だっけな、宝石が埋め込んであるんだよ。中身は『黄金の壺』だよ」
「E.T.A.ホフマンですか。1814年出版の幻想小説ですね」

振り向いた館長の顔はひどく幼い。しかし、即答した私を手放しで褒めるような破顔した表情は父か母のようである。伸び切ったセーターを何度もまくりながら、館長は熱心に下手製本を見せて来る。

「そうそう。詳しいねぇササミちゃんは」
「隠し財産にしちゃあ、目立つよね。黄金の壺に黄金を貼り付けるなんてさぁ」

どこかの金持ちから押収したのだろう。館長がめくるページの紙は安っぽい。インクもかすれて、ところどころ読みにくくなっている。これは、本ではなく、娯楽の為に作られたものなのだ。それがハッキリと見て取れた。

「下品な思考ですね」

込められた物語がないがしろにされている。その事に怒りを感じ、吐き捨てるようにそう言うと、館長はなだめるように笑った。

段ボール箱から出て来る本の全てが下手製本だった。動物の皮、樹皮、海亀の甲羅、銀細工…。持ち主の財力と権力を象徴する為だけの本。欲望の娯楽。帝国にふさわしくない、個人の玩具だ。そう言うと館長はきっと「君は高尚すぎるんだよ」と笑うだろう。だから黙っていたのだが、沈黙は雄弁に語りすぎたらしい。

「まぁまぁ。ササミちゃんは幻想を抱きすぎるよ」

私の怒りなど気にせず、館長は再び段ボールから丁重な手つきでビニルに包まれた本を取り出す。大分ヤケが目立つ、古ぼけた書物だ。先程の豪華絢爛な装いとは全く異なる、ごくありふれたものに見えた。そのせいか、先程までの怒りは削がれてしまった。

「よしよし、保存状態はばっちりだ。いいねぇ、素晴らしいねぇ」

嬉しそうにそれを掲げ、何度も念入りに表紙を確認する館長の喜びようは異常だった。

「それも下手製本ですか」
「人皮装丁本だよ」

はっとして、私は段ボールの山を見つめた。

「これ、もしかしてドイツから…?」
「そうだよ。さすがササミちゃん、きちんとニュースをチェックしているね」

いつだったか、ニュースで聞いたのだ。ドイツの女看守イルゼ・コッホ、囚人の皮膚で『工作』した魔女の作品が見つかった、と。その中には、本もあったはずである。だが、まさかそんなものにまで興味を持つとは思わなかった。

人の皮で作られたとは言え、結局は個人が作った本なのである。趣味の範囲に過ぎないそれを、館長が手元に置きたがる事に驚いた。

「イルゼ・コッホのアートをさ、まとめて寄越してもらったんだよ。書物じゃないから苦労したけどね。本当に人間のものか、ついでに調査するって名目で」

彼の書籍に対する情熱には本当に呆れる。尊敬だとか、恐怖だとか、そう言うものを逸脱しすぎている。人皮装丁を慎重な手つきで取り出しては、愛しそうにその表紙を撫でる。間違いなく異常だ。ただただ呆れるしかなかった。

「囚人達を弄んだブーヘンヴァルトの魔女。人間の皮膚を剥いじゃうなんて、残酷な事をするよね」

嬉しそうに、何でも無いようにそう呟く館長の顔には、子ども特有の残忍さが滲み出ている。何十冊も人皮装丁があると思うと、少しばかり吐き気を感じる。これは、同胞の死を潜在的に悼んでいるのだろうか。本から香る死の匂いを、本能的に恐れているのだろうか。

不快感を吐き出すように、ふと浮かんだ疑問を館長に投げかける。

「本物なんですか、この本」

イルゼ・コッホは疑惑の魔女である。拷問が事実だったのか、本当に彼女が作ったのか、真実は明らかにされないまま、彼女は自殺した。社交辞令のように何気なく発した疑問だったが、館長が無関心である事は予想がついていた。

「さあ? あ、人間の皮膚で出来てる事は間違いないよ。専門の機関でしっかり調査してもらったから」

彼にとって、書籍が全てだ。誰が書いたものだろうが、どんなもので製本されていようが、ほとんど興味を持たないのだ。玩具で遊ぶ館長の姿を眺めるのに飽き、段ボール箱に残されたクリアファイルを拾い上げる。恐らくは鑑定結果だろう。

「調査結果を拝見しても?」

形式だけの問いに、館長は「いいよ」とだけ返した。

クリアファイルには人皮装丁本に関する情報がびっしりと書かれていた。20代の男性の背中の皮である事、いつ頃に作られたものなのか、どこで発見されたかなど、事細かに。

意外な事に、人皮装丁は作られた時期がまちまちであった。何気なくそれらに周期があるものかと眺めていると、ある事実に気付く。思わず声を大きくし、館長を問い正す。

「これ、この2冊。これだけ2年前に製本されていますよ」
「あれ、そうなの?」
「そうですよ。これ、検閲条件を満たしています」

そう言って、調査資料を何度も叩いた。帝国図書館は何も、あらゆる本をかき集められるわけではない。実際、あらゆる本をかき集めようとしているのだが。犯罪や重大な違法行為に紐付けされた書物だけは、一度、別の機関に譲り渡す規定になっている。こればかりは強欲で独裁政治の館長にも覆せない。

2年前に作られた人皮装丁本。犯罪行為を匂わせるそれを帝国で所有するには、まずはその身の潔白を証明しなくてはならないのだ。

調査の結果、殺人事件や人身売買などの事件へと発展すれば、それは重要参考品として帝国の手から離れてしまう。最悪、『世を乱す根源』として、焼却処分されるのだ。

幸いな事に、帝国図書館の所有物に焼却命令が出た事は無い。けれど、調査と言う名目で何ヶ月も帝国の手を離れるのは些か不安なのだ。彼らは調査や検閲のエキスパートだが、書物に関しては全くの素人なのだから。無神経な手で、書物を痛めつけられたらたまったものではない。

検閲の機関も帝国で担ってしまえばいい。以前それを館長に進言した事があるが、曖昧に濁されてしまった。独裁者なだけあって、思惑を口にしない館長だ。何を躊躇する事があるのか、それは私には分からない。

いつだって館長は検閲対象となった本に対して、わずかに顔をしかめるだけなのだ。抗おうとしないのは、やはりこの小さな帝国も、結局は国の保護下にある機関と言う事なのだろうか。

今もまた、大して困っていないような顔で笑っている。

「まずいねぇ、焚書官が来ちゃうじゃないか」
「既に調査機関から通報されていると見て良いですね」

検閲対象となる人皮装丁本を避けながら、館長は「むう」とうなった。

「嫌だなぁ。ここの管轄って、ルドルフくんじゃないか。彼は潔癖だからなぁ、関係ないものも全部押収しちゃうよね」
「検閲規律には文化や健全な精神を損なう恐れがある表現物は全て押収し、調査、検閲の末に公表の是非を伝達する、とあります。ゆえに、全てを押収する事はありません」

清廉な声が後ろから響き渡る。それだけで、声の主の潔癖さ、生真面目さが聞き取れる。

「うげー」
「歓迎のお言葉痛み入ります」

あからさまな館長の声も軽くかわし、焚書官であるルドルフ・フォーアマンは形式通りの敬礼をしてみせた。短く刈り込んだ金髪も、焚書官の規定に則ったものなのだろう。新緑の制服もきっちりと着こなしている。

「お早い到着ですね、ルドルフさん」
「私の管轄で問題が起きるとすればここですから」

お互いに笑みとは言えない笑顔を交わし、ルドルフの元へ一歩歩み寄る。鷲鼻の青年は生真面目すぎるが、意外とユーモアの分かる人間だ。そして何より本の知識がある。だからこそ、帝国図書館のあるこの地域を担当する事ができるのだ。それだけで私は彼に対して好感を抱く事ができた。

「どうも、マシさん。検閲対象はここにあるものでしょうか?」
「そうです、お願いします」

薄手の手袋をはめながら、ルドルフは人皮装丁本を手に取った。

「一通りの情報は頂いていますが、こちらと……こちらの書籍で間違いありませんね?」
「そうでーす」
「館長」

子どもを叱るように言うと、館長は伸び切ったセーターの袖をたなびかせ、ぺたぺたと言う足音と共に走り去ってしまう。いつもの事だが、ルドルフが来ると館長は殊更子どものようにみえる。館長が持っていた資料と、自身の資料を読み比べながら、ルドルフは黙々と書類を作っている。検閲規約、検閲対象となった経緯が書かれた調査書、その後の処分方法に関する委託同意書だ。

彼の対応はほとんど私一人で行うため、何の書類があるのかはもう覚えてしまった。

「マシさん、お気になさらず。私も彼もお互いがいない方が仕事がしやすいのです」
「それにしたって、最近の館長は大人げないですよ」
「大人げない」

ルドルフはふと作業の手を止めて、私の言葉を繰り返した。

「カミガヤツリ館長は一体おいくつなのでしょうか」
「さぁ…私が入館した時と外見は変わっていませんね」
「そうですか」
「そうです」

会話が途切れ、不自然な沈黙が流れる。ルドルフは作業を再開するでもなく、思考の闇に沈んでいる。そう、それは闇なのだ。捉えようにも、光も無いそこでは何も捉えられない。光を当てることすら出来ない深い闇。

「館長は帝国七不思議ですよ」
「なるほど、そうですね。七つ全てが彼の謎だ」

生真面目そのものの顔をして、ルドルフは作業を再開した。案外ユーモアの分かる彼の事は、本当に嫌いではない。