カミガヤツリ館長は大げさなくらいわざとらしく頭を抱えた。伸び切ったセーターの袖はだらりと揺れ、彼の金色の髪が歩く度にふわふわ跳ねる。短く刈り込んだ私の傷み切った黒髪と比較するのもおぞましい程の艶やかさだ。

「困ったよ。これじゃ僕の本が持ち出しされてしまう」

到底困った風には聞こえない声で館長はうめき声をあげた。

「だからこうして調査しているんでしょう」

冷たく私がそう返事をすると、子どもくさい「だってえー」が廊下に響く。ぺたっぺたっと不規則に聞こえる音は館長のスリッパによるもので、コツコツと規則的に響くのは私のヒールによるものだ。

私たちは資料室に向かっている。帝国の中でも最も広く、そして「程度」の低い部屋だ。本としての体裁でないものの部屋。情報をアーカイブのための部屋。

あらゆる文献、写真、映像、そのほとんどをデータ化して保存しているため、私や館長はほとんどこの部屋を訪れない。ここに書籍が置かれることはない。ここに物語が集約されることは滅多に無い。破損や汚損の進んだ書籍を泣く泣くデータ化する程度だ。

紙や書物で山積みにされた帝国には不釣り合いな、電子化と機械化で埋め尽くされた近代的な部屋。本として、物語としての価値を第一に考える我々には縁遠い場所だが、その重要性は帝国の中でもかなり高いところに位置する。

ある者はここを「歴史の集約」とも呼んで重宝した。あらゆる情報を保存、保管しているこの部屋の文化的価値は計り知れない。ここは帝国の要でもあるのだ。あらゆる情報が集約している。

私たちはここで、例の人皮装丁本に事件性が無い事を証明する資料を探すのだ。

厳重に閉ざされたアーカイブへの扉を開くと、ひやりとした冷気が部屋から溢れ出して来た。ぼんやりとした光が部屋の中央に灯っている。いつもならアーキビストやプログラマがひしめきあっているのだが、館長の我侭により2時間だけ追い出されたのだ。

もちろん我々の動向はカメラでチェックされ、プログラマやエンジニアは別室で延々と情報収集とデータ管理に追われているのだろう。セキュリティも万全を期さねばならない。

彼らはひたすらに世界中のニュースを拾い続け、集約し続けるアーカイブの守り人だ。それを支えるようにアーカイブに詰め込まれたコンピュータは、ただ延々と己の使命を果たしている。

「コンピュータほど僕に忠実な奴はいないよ。餌も罰もいらないんだもん」

上手い冗談の一つも言えない暴君を無視して、私は部屋の隅にあるパソコンを起動させた。館長は長テーブルに載せられた資料のファイルを乱雑に脇に払い避け、べたりと上半身を預けている。

モニタ画面に向かい合って、二年前から現在に至るまでの事件やニュースを拾っていく。まさに悪魔の証明と言うもので、その捜査は難航そのものだ。館長の手を借りたい程だが、彼がそんな真似をするはずもない。

彼はコンピュータをそれなりに信頼しているが、決して好ましいとは思っていないのだ。リラックスした様子でテーブルに突っ伏している。

分かり切っていたことだ。

少しずれた眼鏡を押し上げて、電子的な文字の羅列を眺める。2時間後には、再び職員たちが戻って来る。長々と調べものをするには適さない環境だ。ただでさえ今回は職務よりも館長の娯楽の面が強いのだから尚更肩身が狭い。

見慣れた紙とは違う。見慣れた文字とは違う。早くも眼精疲労を起こしそうだ。むしろ、拒絶反応と言うべきか。機械化の一途をたどる世界の進行とは真逆を生きる私にとって、この作業はとても辛いものになりそうだ。

物語が電子化されることは、もはや世界の常識だ。そのことに館長はひどく苛立つようだが、私はそれを否定するつもりはない。

彼は書籍としての造形も愛しているのだろう。それは分からなくはない。郷愁に似た気持ちなのだ。あの頃は良かったと振り返るような。決して手に入らない陽炎のような憧憬だ。

過去を懐かしみ、縋り付くのは私の性分に合わない。物語を堪能できるのであれば、どのような形態でも頓着しない。

ただ、やはり物語は紙で読むのが良い。

大事なものは物語そのものだが、私の心にそれを染み渡らせるには、やはり紙でなくては。モニタ越しの世界は味気ない食事のようだった。ただ消費させられるだけの物語があるのは事実だが、それはただの嚥下にしかならない。

言うなれば簡易食だ。きちんと咀嚼し、嚥下し、糧とするには、それなりの手順と言うものがある。

何かを予感させる表紙、心を駆り立てる遊び紙、淡々と並べ立てられ、積み上がる文字、ページをめくる時の胸の高鳴り、想像を掻き立てる挿絵、余韻に浸らせる奥付、遊び紙、裏表紙……。

ブックカバーは大切なものをしまう宝箱だ。しおりは私の思いを辿る軌跡だ。

これこそが素晴らしいオードブルなのである。

この作業は簡易食にすらなりそうにない。ただ業務としてこなすのみだ。館長は暇つぶしとでも言いたげに分厚いファイルをパラパラとめくっている。時折、「さっさと終わらせろ」とでも言いたげに言葉を零す。

「少しでも事件性があれば問答無用で差し押さえられそうだよね」
「しかし、ルドルフさんが焼却判断を下したことはないでしょう」

ルドルフ・フォーアマンはとても賢い。書籍の持つ文化的価値を良く分かっているのだ。そして何よりもその無意味さを、無価値を良く理解しているのだ。

犯罪者の思考回路が世間に流布したところで、犯罪に走るものは一定数存在することを分かっている。どんなに真実に近付いた手記を書いたとしても、それが正義となり得ないことを分かっている。

だから彼は書籍に優劣をつけない。良し悪しを語らない。だから彼は焼却処分を下さない。

「そうだけど。一時でも僕の手から離れる本があるってのが残念でならないんだよ」

帝国の管轄に駐在している焚書官には書物への知識は元より、品行方正な人格も求められてきた。つまり、ルドルフ・フォーアマンはまさに適任者であった。

彼の厳格さは帝国にとっていささか不都合な面もあるが、押収された書籍が適正に保管され、返却されると言うのは非常にありがたい事だった。手元から離れる事への不安が軽減されるのは、精神的にも良いものだ。

何十年も前は文字通り、ただひたすらに「焚書」する役人であったのだ。本に対する知識も、知性の欠片も無い人間しかいなかった。

国家に不都合な書籍、言論統制……その為の機関。書物をかき集め、悉く燃やし尽くす悪漢どもの組織。

知性も理性もない、軍人崩れが徒党を組んでいる。その為、書物であれば容赦なく焼却された。審査も調査も無く、ただただ火を焼べられていた。まるでそれらが恐ろしい兵器だとでも言うように。おぞましい悪魔か魔女だとでも言うように。

そんな地獄の時代が確かにあったのだ。

彼らのせいで貴重な資料や文化が破壊された。一説によると知識人たちも相当数粛正されたらしい。

その蛮行もあり、当時の焚書官を「トロル」と揶揄したと言う。数こそ減ったものの、今でも焚書官の中にはこうした「トロル」が紛れ込んでいる。

そんな焚書官たちの機能を、我らが「王」が奪い取った。世の書籍は自分の物だと豪語する館長にとって、焚書官は目障りな存在だったろう。

書籍をかき集め、燃やすのではなく閉じ込める。

帝国は閉ざされた宝物庫になったのだ。閲覧を許されない書物を求め、知識を求め、未知を求め、人々は帝国を目指し出す。そして焚書官は検閲、調査機関として発展していく事となる。

人望などあるはずもないカミガヤツリ館長の元で、多くの人々が働いているのはこうした理由があるのだ。

王へ忠誠を誓うものなどほとんどいない。それでも帝国は揺るがない。彼の手元にある宝物庫が、彼無しでは決して我々に開かれない事を我々は知っているのだ。

私は眼鏡をぐいと押し上げた。わずかに感じる目の奥の痛みも今は忘れることにしよう。

モニタ画面へ意識を戻し、山のように出て来る検索結果を眺めて行く。気分が悪くなるような文字ばかりだ。

「この二年間で起きた猟奇殺人で、それらしいものは見つかりませんね」
「うんうん、証拠不十分で不起訴って奴じゃないかな。無い物は無い。事件性は無い」
「まさか」

伸びきった袖を振り回しながらそう言って笑う館長に、私は乾いた笑いで返事をする。

「どこかの変態が趣味の為に自分の皮をはいで本を作りましたってニュースがあればルドルフさんも納得するでしょうね」
「ササミちゃんもえげつないこと考えるねぇ」

からかう声を無視して、私はモニタに映る文字を速読していく。グロテスクな単語が飛び交う画面に頭がクラクラしてきた。

「しかし、それを探し出すにはもっと条件を絞らなければ」

カタカタと響くのは私がキーボードを打つ音で、館長はもはや調べものをするフリすら億劫になっているようだ。私の隣でテーブルに突っ伏し、ぼんやりとモニタ画面を眺めている。私が調べ物に集中する度、館長の独り言が増えていく。

「装丁の見返しにさ、気になる模様があったんだよねぇ」

ぽつりと館長が漏らす。思わず私はモニタから彼へ視線を移した。びくりと肩が震えたのは自覚があった。

「蔵書印ですか? まさか、呪いの印なんて言うんじゃありませんよね」

声に不快感が滲み出たのが分かった。

オカルトじみた出来事には以前遭遇したことがある。本に込められた呪い。物語を紡ぐ欲求と、書籍を己の手の元に置いておきたい所有欲で狂った著者。

呪いそのものを目の当たりにしたわけではないが、あんな未知とはもう二度と遭遇したくはない。

理論が確立しないものが、「ああいうものだ」と片付けるしかないものが、私はとてつもなく恐ろしいのだ。理解する余地の無い「未知」は恐ろしい。

びくつく私の様子がおかしいのか、館長は小刻みに肩を震わせた。館長の細くて小さな指が私の短い黒髪をざりざりと撫でる。慰めのつもりなのだろう。子どもが大人の真似事をするような拙さだ。

「違うよう。もしかするとイラストじゃなくて文字だったんじゃないかと思ってね」

心底面白いと言った顔で館長はそう言った。笑いを堪えて赤くなった彼の頬を張り倒してやりたくなる。もちろん、「独裁者」である彼にそんな事が出来るわけも無いが。

「ササミちゃんってホラーだけはほんっとうにダメなんだね」

そう笑いながら、館長は人皮装丁本の資料ファイルを手に取った。パラパラとめくってそこから一枚の資料を抜き出し、私に差し出す。書影が印刷されたそれには、見返しに残されている奇怪なイラストもしっかりと写されている。

3センチ四方の小さなそれは、確かに黒いインクで押された蔵書印のように思えた。しかし、一度「文字」としての情報を得た私には、古代エジプトのヒエログリフにも思えてしまう。ハッキリと断定する事が出来ないが、ヒエログリフよりも複雑な文字のようだ。

我々の仕事は「疑う」事だ。この贅沢な王様の下、本の真贋を見極めなくてはいけない。それは価値を疑い、持ち主を疑い、記述された物語や文字を疑う事もある。自身が抱いていた先入観も疑い、館長が提示した情報すら疑わなくてはいけない。そこから答えをはじき出さなくてはいけない。

「蔵書印のようにも見えますが……確かに、象形文字のようにも…」

言語や文字を専門に扱うチームはひどく少ない。私も基礎的なものしか学んでいないので、曖昧に濁すだけに留めた。先入観や思い込みではない、事実そのものをこの中から見つけ出すことができなかったのだ。

神妙な顔で館長は何度も首を縦に振った。

「だろう? 調査機関から蔵書印って資料で回って来たからさ、ついそう言うものとして見ちゃったんだけど。多分、これは音節文字を組み合わせてあるんだと思うんだ……」

そうして館長は「文字」と見なした根拠を語り出す。その専門的な知識には私も思わず舌を巻く程だ。本にしか関心が無い館長の、ふと見せる知識量の膨大さには恐怖すら覚える。人間が一生かかっても得られない知識を彼は得ているような印象すら受けるのだ。

そんな私の心情など気にする様子もなく、うーん、と言って館長は首を傾げる。

眉間にシワを寄せる様子はわざとらしい程に悩ましい表情をしている。テーブルに突っ伏したまま顔を左右に動かすので、金色に光る髪がさらさらと揺れた。

「アフリカか、エジプトか……。うーん、どこだったかなぁ」

エジプト、と言う単語からある人物が脳裏に浮かんだ。帝国図書館の副館長。王の第一の手先であり、唯一の下僕でもある人物。確か彼はエジプトの出身だ。

「ラガーブさんに聞いてみては?」
「えーっとねぇ、そのラグビーくんは僕の身代わりとして予算委員会に出てるんだ」

その躊躇ったような言葉が何よりも明快なノーであった。遠くを見つめる彼の薄茶の瞳が、どこか超然として見える。それだけで副館長の苦労が手に取るように分かった。

館長が自由気ままに動き回っていられるのも、こうして副館長が淡々と仕事をこなしているからなのだ。

うーん、とそばかすだらけの頬をかきながら、私は不意に浮かんだ人物の名前を挙げた。

「ジョゼくんなら今日ヒマですよ。呼びますか」

ジョゼ・ルイス・フレイレ。

まだ20代の青年だが、言語における知識は帝国随一とも言われている。浅黒い肌に白に等しい金髪のコントラストはひどく軽薄そうな印象を与えるが、仕事においてだけは勤勉で有能だ。爛々と輝く若葉色の瞳は知的好奇心が動力になっている。何かと重宝する人材だ。

館長も彼の名前は記憶していたようで、私の言葉を聞いて机からガバッと起き上がった。その瞳はきらきらと輝いており、純真無垢な子どもの姿そのものだ。

「ジョゼくんか。彼はいいね。そうしよう、そうしよう」

館長も私も優秀で有能な人物が好きなのだ。人間性だとか、相性だとか、そんなものは二の次なのだ。我々の関係は打算で出来ている。

館長が許可を出すよりも早く、私はジョゼへ電話をかけていた。事情を説明すると、彼は弾んだ声で「今から行きます!」と大声をあげた。電話越しでも、彼の瞳が爛々と輝いたことがはっきりと分かる声だった。

知的好奇心に駆り立てられた彼は、きっと今頃自室を飛び出していることだろう。そう言う彼の姿勢も私は評価している。