立ったまま人皮装丁本をぱらぱらとめくった後、ジョゼは手袋を外して「んー」とうなった。 頭皮をがりがりとかきながら、私の隣にあったパイプ椅子に腰掛ける。顔をしかめているものの、新緑の瞳はらんらんと輝いている。

その動作が酷く緩慢で、もどかしく思った私が答えを急かすよりも先に、彼はあっけらかんと答えを発する。

「これは『皮を剥がれた我らが主に捧げる』って意味の文ですよ」

はらはらと館長よりも薄い金色の髪を揺らしながら、ジョゼは嬉しそうにそう言った。達成感からか、ふーと長いため息と共にパイプ椅子へ深く座り直す。

「イラストと言うより、書き癖ですね」
「ところでさ、それってどういう意味なの?」

伸び切ったセーターの袖を揺らしながら、館長が首を傾げた。テーブルにべったりと上半身を押しつけ、少し眠そうな顔をしている。ジョゼが読み取ったそれは、何かを暗喩しているにしては直接的な文言だ。宗教的な意図も感じられ、事件性があるようにも思えた。これはあまり望ましくない。

「皮を剥がれたなんて人皮装丁にピッタリな文句だけどさぁ」

もっと有益なこと書いてないのぉと館長が文句を言っている間に、私はかちりと脳内の断片的な情報が繋がるのを感じた。頬杖をついたまま、頭に浮かんだ言葉をそのまま吐き出す。

「アステカ神話? 『シペ・トテック』?」
「ああ、そう、そうです。さっすがマシさん」

なにそれとでも言いたげな館長の視線に、私は答える。

「アステカ神話の穀物の神です。自身の皮を剥ぎ、人々に食料を与えるとされています。この神に捧げる生け贄もまた、皮膚を剥がされるそうですよ」
「うげええ。グロいねえ。ササミちゃんってオカルトだめなんじゃないの?」
「これは神話です。フォークロアですよ」

納得していない様子の館長を無視して、私はジョゼの方を向いた。ずっとモニタを見ていたせいか、焦点が上手く合わない。

「神話狂いが神様に生け贄を捧げたってこと? そんな事件見つからなかったけど」
「多分ねぇ、違いますよ」

座ったままパイプ椅子を動かし、ジョゼは私の眼前へと乗り出してキーボードとモニタをぐいと自身の方へ引き寄せた。そしてキーボードを操作し、何度かクリックし、最後に私の元へモニタを向けると新緑の瞳をにんまりと細めた。

「このニュース」

そう言って彼は得意げにモニタの画面を指で叩いた。

「メキシコの青年が警官に撃たれて死んでる。差別が発端だろうって」

ジョゼが体を横にずらし、私の方へモニタを向けた。ニュースの記事だ。眼鏡をぐいと押し上げて、私はモニタに羅列された文字を読み終えた。

「……でも、人皮装丁とは無関係じゃない?」
「と思いきや」

そう言って、ジョゼは私の方へ顔を寄せ、にんまりといたずらっ子のように笑う。浅黒い肌に、爛々と輝く新緑の瞳が生命力で満ち満ちていた。こちらを見ながら、キーボードに何かを打ち込んでいく。

「すごーくマイナーな中南米の新聞記事です」

そう言って再び見せられたモニタの画面にはこんな文字が踊っている。私はそれを静かに読み上げた。

先住民の青年が射殺。人種差別反対デモに発展。遺族らが遺体から皮を剥ぎ、一冊の本を作った。差別の撤廃と我が子の安らかな眠りを祈って……。

三文芝居と嘲笑したくなるようなわざとらしい感動秘話に仕立て上げられているが、問題はそこじゃない。

「この人皮装丁本がこの青年の皮膚で出来てれば、ルドルフくんは回収できないってわけだ」

テーブルにぺたりと突っ伏していた館長が嬉しそうにそう言った。携帯電話を片手にふらりと部屋を出て行く。

「すぐに調査させよう」

ドアのバタンと閉まる音と共に館長の話し声が遠ざかっていく。きっと一時間後には結果が出ているだろう。それと同時に、ルドルフ・フォーアマンも同様の調査結果を手に入れてやってくるような気がした。私は彼の職能において、ある種の信頼を置いているのだ。

館長もきっとその事実に等しい推測を導き出している。それでも「こちらが先に辿り着いた調査結果」という事実はどんな刃よりも鋭い。

人皮装丁本の調査において、どちらが中心になるかがこれで決まる。焚書官に一冊たりとも譲りたくない我々としては、何が何でも先手を取りたいのだ。

何事にも優位に立ち、主導権を握りたがる館長の性質がそれをさらに強固なものにしている。館長自ら動き出した今となっては、我々にすることはない。

「……それにしても、よく見つけたね」
「ああ、この記事っすか?」

ジョゼはニュースサイトを眺めながら、ぼんやりとした口調で返事をした。

「おれ、この新聞の愛読者なんで」
「そっちの出身だっけ」
「はい。家族もいないし、あんまり良い思い出もないけどね」

何でも無いことのように言い放つ彼の新緑の瞳には、憂いがあった。半開きになった唇がまだ何かを言いたそうにしているので、私はそのままジョゼの言葉を待った。予想通り、彼はちらりとこちらを見てから何でもないように話し始める。

「この新聞、あっちの先住民の事とかよく取り上げてくれるんすよ。そっちの混血なんで、おれ」

ネット記事を適当に読みあさるジョゼの顔をまじまじと見る。ひどく無感動な表情をしていた。それが演技なのか、はたまた本当に何でも無いと思っているのか、私には判断がつかない。

「あぁ、なるほどね……」
「こんな小さい新聞じゃないと、載せらんないんすよねえ」

そう言ったジョゼの顔はやはり無感動だった。

マイノリティであることは、昔ほどハンディキャップではなくなっていた。ヨーロッパ出身者が多いこの帝国では私もマイノリティである。だがそれを気にする人間はそう多くない。この帝国では国境なんてものはあってないようなものだし、同僚たちもまさしく「るつぼ」だ。館長に至っては出身さえも不明である。

各々が好きなように仕事をしているので、互いに議論を交わす事すら稀だ。そんなヒマがあるなら本を読む。他人の皮膚の色を見る余裕があるなら、研究をする。

そういう集団ともつかない集団だからこそ、マイノリティだと感じる機会が極々少数なのだ。

「ササミさんは、故郷に帰りたいとか思いますか?」
「どうかな。家族とはメールも電話もするし、義務感から帰りたいと思うことはあるけど」

色素の薄い金髪を指に絡ませながら、ジョゼは私の方を向いた。いつものように好奇心に瞳を輝かせ、唇には好意的な笑みを浮かべている。

「んー、そういう感覚って興味あるんですよねえ」
「線文字Aをずっと解読しようと何時間も睨めっこしてる時にスペイン語が読みたくなる感じだよ」
「なんすか、それ。そんなモンなんすか」

ジョゼは若者らしい、快活な声で笑った。それを見て、私もふっと口元が綻ぶのを感じる。ちらりと彼の奥に見える人皮装丁本が先程とは違った雰囲気をまとっていた。

青年は生きてどのような人生を歩みたかっただろうか。家族はどのように悲しみを乗り越えたのだろうか。考えても答えは一生見つからない。安易に想像して良いものでもないだろう。

けれども、考えずにはいられない。考える事はやめられないのだ。私はノンフィクションだって愛している。