カミガヤツリ館長は性根が歪んでいる。もしくは曲がっている。腐っている。
帝国の主人なのだからそれも仕方がないと言える。我々はその傲慢さも横暴さも承知の上なのだが、あくまでも仕事上の付き合いだ。

私たちは独裁者に付き従う。独裁者だと知った上で。

だが、彼らはどうなのだろう。目の前で館長に媚を売る彼ら。搾取されるだけの、出版関係者たちだ。

いくら媚を売ろうが、恩を売ろうが、喧嘩を売ろうが、我らが王様はちっとも気にやしないのに。
無駄な時間を過ごすものだな、と静かにその様子を眺める。

ここは独裁者の帝国ではない。

私は例外的に帝国の外に出ることを許された。こぎれいなドレスに身を包み、独裁者があくまでも政治的に、社交的に独裁者らしく振舞うよう監視している。

私の眉間にシワが寄っているのは、この豪華絢爛な屋敷の外が暴風、雷雨ですさまじいからだ。この屋敷に一泊するほかないからだ。早く帰って業務に没頭したい私としてはとんでもない。

そう、我々がいるのは帝国の外である。一生を帝国の中で終えると言われている私たちにとっては異例の措置とも言える。護衛も警護も一切認めない館長の、外交同行なんて。

館長が懇意にしているという、贔屓の作家がとある賞の受賞候補に上がったのが事の発端だ。

鳴かず飛ばずの中年作家、ヤロスラフ。大昔の文豪さながら、酒と借金まみれ。人徳があるとは言い難いのがまさに彼の好みそうな人物だ。

もちろん彼の作品は読んだことがある。SFの荒唐無稽さと、彼の母国をとりまいた戦争と政治をミックスした、良くも悪くも濃厚な長編小説だった。

読み手を選びすぎる、アクのある作品だったが、最後まで書ききったその胆力は尊敬に値する。
胸糞悪くなるような展開と、冗長な言葉選びは若干苦痛に感じるが、その反面、牧歌的な国の風景描写が美しく、宗教的でさえあった。

それ以降のヤロスラフは鳴かず飛ばず。何を書いても、誰の心にも響かなくなった。才能のなさと、素行の悪さが目立つようになった。少しでも悪く評すれば、「お前に俺の芸術の何が分かる」と直接、相手に喧嘩を売りに行くほどだ。

当時のヤロスラフは若く、また美しい造形の持ち主だった。「特別な俺を理解できない文壇に用はない」と言い放って、華やかなテレビショーの世界に入っていく。あとは誰でも想像できる。

案の定、ヤロスラフはドラッグとアルコールに溺れていく。書いても書いても売れない本たちのことは自虐ネタとして扱い、「俺の小説は俺のために書いている。だから良さが分かるのも俺だけだ。俺は特別だから」と繰り返し発言した。彼のビッグマウスぶりも、大衆からすればスパイスの一つだ。

そんな彼が自らの老いと衰えによって、とうとうテレビからも見向きをされなくなる。つまるところ、ようやく目が覚めて自分の生きる場所はここだったと復帰作を携えて帰ってきたわけだ。

自らの栄光と堕落を、過去と未来の二人の彼が見つめ直し、唯一「ほどほどに」売れた処女作を回顧する。要約するとそのような話だ。ちなみに、過去も同じような構成で、彼のお得意のSFや陰謀論のミックスした小説をいくつか執筆している。

テレビで一斉を風靡した者の小説とあって、プロモーションはどの作家よりも大々的に行われたように感じる。けれど、評論家たちの反応は冷ややかで、「彼にしか書けない。ただ、それは誰でもそうだ。そして、彼の小説にはそれしかない」と読む前から散々なこき下ろしようだった。それはかつての彼の素行を知る者が多く、ある意味では戒めでもあったように思う。

もちろん私も目を通した。勢いだけでどうにかしようとしてきた歴代の小説たちに比べると、ずいぶん大人しくなった。栄光も堕落も、自身に酔うことなく淡々と、しかし鋭利な切り口で語りきっている。これは年齢を重ねてきた者だけの持つ、熟成にも似た記述だ。昔からヤロスラフはでっちあげのリアリティを作るのが下手なのだ。彼の描写はノンフィクションでこそ光る。

まぁ、それは恐らく彼の書きたいものとは違うだろうが。

まぶたの裏の情景を、実際に見る以上に鮮明に、きらびやかに描く。それが抜群に上手いのだ。数々の巡礼を経た今、それは下卑た派手さではなく、崇高な美しさとなっている。

ビッグマウスがずいぶんと繊細なロマンチストになって帰ってきたようだ。テレビで見る彼の姿と、この作品は良い意味で合致しない。そういう愉快さもあって、前評判を覆してのノミネートとなったらしい。

いくらか落ち着いたと言っても、彼の傲岸不遜ぶりと取り巻きは変わらない。今夜の受賞作発表に先駆けて、盛大なパーティーが催されることとなったのだ。

「決起集会」と題されたそれは、事実上の「受賞パーティー」だった。

多くの著名人が招かれたが、招待客の半分以上は落選し、いつものように悪態を吐く彼の様子をリアルで見物するためだった。その筆頭は、我らが館長。

「めんどくさそうな顔をしないでよ」

代わる代わる挨拶に来る著名人たちを無視し、独裁者は後ろに控える私に声を掛ける。

「これも職務の一環ですから」
「面倒じゃないって?まあいいけど。一応ね、ササミちゃんを連れてきたのには意味があるんだよ」

そう言って独裁者はさらに笑みを深くした。対面していた人々の眼前で、手をパタパタと払う。それは鬱陶しい虫を払う仕草だった。対面した何人かは戸惑いながら、私の顔を見る。私がふるふると首を横に振ると、彼らはすぐにこの場から立ち去った。

「今日、この場所で、ササミちゃん好みのイベントが起きるよ」

どういうことだ、という質問を彼にすることはできなかった。大仰な音楽と共に、このパーティーのメインキャストが登場したからである。

この日のために新調したであろうスーツを身に付け、傲岸不遜な顔でヤロスラフは姿を見せた。

「やあ、やあ。ようこそ皆様。受賞候補記念パーティーへようこそ」

「候補」をやけに強調した自虐的なその発言に、何人かは声に出して笑い、大半は口元に嘲笑と苦笑を浮かべるに留まった。彼は会場を一通り視線で撫で回し、その反応をじっくりと堪能したようだ。

「うん、うん、不満げな顔がいっぱいだ。僕はこんなパーティーがは止めろと言ったんだ、意外にもね。だって、僕の小説が受賞するわけがない。僕の作品の素晴らしさを、真に理解できるものなどいないんだ。天才は常に孤独だからね」

これにはほとんどの聴衆が笑った。意外にも弱気な、落選したときの言い訳をパーティー早々聞かされるなんて思いもしなかったからだ。

「あれ、保険じゃなくって本気で言ってるんだよ」

ぼそりと呟いた館長のその言葉に、私は何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。彼がひどく嬉しそうな顔をしているのが、不安を煽る。

それから面白くもないジョークを交えて、開会の挨拶はすぐに終了した。その後、ヤロスラフは意外にも招待客一人ひとりに挨拶をして回った。

とは言え、ほとんどが先ほどのパフォーマンスの焼き増しで、私たちの元に来る頃にはセリフはもう覚えてしまったほどだった。

「カミガヤツリ館長!ようこそ、僕の初版本はすでに帝国の一等地で保管されているかね?」
「やあ、ヤロスラフくん。お招きありがとう。受賞記念として僕の私室に飾らせてもらっているよ」
「そりゃあ嬉しい。でもね、きっと僕の作品は受賞しないよ。あれは僕の回顧録、僕に捧げたものだから」

延々と自身の素晴らしさについての演説。今回の作品で幾分か株を上げた彼だったが、こうして対面するとそれすら撤回してしまいたくなる。

「あぁ、そろそろ受賞発表が来るんじゃないかな?」

館長がそう言うと、わざとらしい表情で「そう言えばそうだ!」と両手を叩く。

「今晩のメインディッシュはまさにこれだ。この喜劇をぜひ皆さんと堪能せねば」

そう言ってヤロスラフは部屋の隅にいるスタッフにちらりと目配せした。パッと部屋の証明が消え、彼一人にスポットライトが当たる。スタッフが一人、マイクと小さな紙を持ってヤロスラフに近づいた。

ニヤニヤとしながら、彼はそれを受け取った。

「ああ、悲報が届いてしまったようだ。参ったな、僕はこれを読み上げる勇気がない…」

一緒に手渡されたマイクを口元に当て、ヤロスラフは器用に紙を開いた。「読み上げる勇気がない」と言う割に、その役割を誰かに委ねようと言う気持ちはないらしい。

暴風と雷鳴をBGMにパーティーは深夜まで続いた。

贅を尽くした料理はどれも凝っていて、文句なしに美味しかった。唯一、これだけはかの帝国よりも優れていると言って良い。新鮮な海鮮物も、帝国では滅多にでないものだ。砂漠という立地の問題も多少はあるが、館長の食わず嫌いによるところが多い。

飛び交う美辞麗句、掌返し、負け惜しみ。私は耳を塞ぐように食事を堪能した。館長はその逆で、それを肴にデザートを楽しんでいるようだった。

「これのどこが私好みですか」

恨み言のようにそう告げると、館長は小さく笑った。視線はちょうど近くにやってきたヤロスラフだ。彼はあの悲報から以降、ひっきりなしに挨拶を繰り返している。まるで壊れたオウムか、おもちゃのように。

「ん?いやいや、これからじゃないか」

そう言うと彼はテーブルに食べかけのタルトを置き、ヤロスラフへ自ら近寄って行った。

「受賞おめでとう。昔から贔屓にしていた僕としては、我が事のように嬉しいよ」
「ん、あー、ありがとう、館長。いや、僕も驚きだ。まさか、これほど名誉ある賞を受賞するなんて…まさか…」

あの”悲報”の瞬間、つまり受賞の一報を受けたヤロスラフは、まさしく鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まった。あれからもう1時間は経っているが、どうやら未だ鳩から人間に戻れていないらしい。まるで夢見心地のようなその様は、先程までの傲慢な素振りよりもよっぽど真っ当に見える。

受賞を祝う簡単な言葉を彼にかけて、招待客はそれぞれの個室へ帰っていく。この悪天候の中、帰ろうなんて思う者は誰もいないようだった。

放心したようなヤロスラフの姿に、館長は満足したのか、手にした白ワインを一気に煽るとそのまま会場を出るようだ。

私も後からついていきながら、まばらに人の残る会場を振り返る。

これは一人の人間が改心する瞬間とでも言うのだろうか。確かに彼は文豪として名前を残すだろう。ただ、ヤロスラフがこれからも栄光の道を歩み続けるかというと、そんなことはない気がする。それは確かに悲劇の予感ではある。

だが、これが私にとっての報酬ならひどく物足りない結末だ。食事の美味しさは別として、ちっとも私好みではない。転落一歩手前のような現状に立ち会ったところで、何も面白くない。そんなのがオチだなんて、あんまりだった。

不完全燃焼な気持ちで、私はそのままあてがわれた客室へ戻った。

一夜明け、強い日差しに目覚めを促される。雲ひとつない快晴だ。

時計を見る。昨夜、聞いていた朝食の時間にちょうどいい。手早く身嗜みを整え、着慣れたカジュアルな服に身を包む。そのまま館長の部屋へ向かうと、彼はすでに起きていた。

「起きていらっしゃったんですね」
「まあね。朝食も用意してくれたみたいだし、食事をしてから帰ろっか」

そう言いながら、彼はさっさと会場に向かってしまった。私は部屋の中に残された彼のルームキーを素早く手に取り、彼を追いかける。

昨夜の会場は、絢爛豪華な空間から一転、清潔感のあるシンプルな会場に変貌していた。モノクロで彩られたそれは、受賞パーティーの夜明けにしてはいささか地味だった。真っ黒なカーテンは祝いの場にはふさわしくないだろう。

思わぬ空間コーディネートに少し顔をしかめるが、朝食のいい香りに気持ちが落ち着いた。ブッフェ形式の朝食らしく、ほのかなベーコンの香りが入り口からでも感じられる。

人はまだ少ない。それなのに、給仕スタッフは慌ただしく出入りしている。

全員がひそひそと声を潜めている。

それなのに、ひどく騒がしい。

朝食もまた見事だった。カーシャ、ベーコン、パンケーキ、トースト、スクランブルエッグ、ヨーグルト、サラダも豊富だし、瑞々しい。よく見ると味噌汁まである。各国の著名人を招待したからこその心配りだろう。

心躍りながら、ひそひそ話の隙間を縫うように空いたテーブルを探す。どうやら、招待客の大半はこの朝食に目もくれず退散したようだ。よく見ると、出入りするスタッフは給仕用ではない。入り口にいるのは警備員のようだ。

険しい顔つきで、フロアを見渡している。

さ、早く食べてしまおう。

そう館長に急かされて、私はフォークを手に取った。館長は山盛りのスクランブルエッグとヨーグルトしかとっていないようだ。せっかくの朝食がもったいない。

「ヤロスラフくん、自殺したって」

薄々と勘付いていた事実だが、モーニングにふさわしい話題ではない。

焼き立てのトーストをかじると、じんわりとバターが口いっぱいに広がった。

「昨日、パーティーが終わってね、自室でひっそり」
「実は他殺…とかそういう話ですか」
「嫌だな、違うよ。僕はミステリー小説の住人になった覚えはないねぇ」

程よく焦げたベーコンをかじる。塩気に誘われるように、またトーストをかじる。ふんわりとした食感に、噛むほどに感じるほのかな甘み。鼻にかけない贅の尽くし方が、非常に私好みだった。

「招待客の朝食の手配を指示したのが、彼の最期の言葉になった。遺書はないらしいから、まあ、断言しちゃいけないね」
「何でまた、こんなタイミングで」

皿いっぱいにスクランブルエッグを載せた館長は、スプーンでそれを一心不乱に食べている。

「受賞が原因でしょ」

さらりと館長がそう告げる。

「…人生の絶頂期で幕を下ろしますか?」

そんなわけない、と館長は半ば吹き出すように笑った。絶頂期ではない、昨日が彼の最も絶望した日なんだと。

「彼は自分が天才であることを再確認するために今回筆をとった、って言ってたよ。生前ね」

話が繋がってこない。私は首を傾げる。

スプーンをくるくる回しながら、館長は私をスプーンで指差した。

「言ったでしょ。彼は落選すると信じてた。自分が唯一無二の天才だって信じてたから。誰にも理解されない孤高の天才。そう思っているからこそ、売れないことを笑いのタネにできる。俺が天才だから、理解されないんだって再確認できる。それなのに今更になって自分の作品が認められる?しかも、こんなお堅い、でも権威ある賞に!」

早口になった館長の語りは止まらない。トマトのピクルスをかじりながら、私はそれに耳を傾ける。

「これがもっと大衆向けの賞だったら、彼も自殺までしなかっただろうね。だって、テレビで培ったコネクションとファンの力だと思えるから。でも、彼はこれを書いてしまった。渾身の一作だと思ってしまった。専門家からの太鼓判を押されてしまった。今まで見向きもしなかった奴らが急に絶賛しはじめる。今までの酷評は自らの才能の無さと人柄と、周囲の嫉妬によるものだったと知ってしまう」

「ええと、つまり?」

オニオンピクルスを飲み込み、端的にそう問うと、館長は「感受性が鈍ってるね、ササミちゃん」と吐き捨てた。

気合の込もった演説を聞き流されて、気分を害したようだ。

だが、館長の機嫌はいつだって勝手に乱高下している。ご機嫌とりなんてするだけ無駄だ。

「つまりさ、ヤロスラフはようやく気付いた。自分が凡愚だってことに。今頃になっての共感と理解は、それを突きつけるだけだ。今まで売れなかった自分はなんだ?ってね。自分は孤高の天才じゃなかった。なら、今まで売れていなかった理由は何だ?って」

ホットコーヒーを一口だけ飲み、ほうと息と吐く。話のつながりがようやく見えてきた。

「なるほど。天才であるという自負を砕かれ、この先にあるギャンブルゲームに恐れをなして逃げ出したってところでしょうか」

専門家からの正当な評価は為された。それはかえって、自分自身に才能はなく、今までのものが駄作であり、ただ今作が秀逸なのだと評価されたことになってしまった。大衆からの理解と共感は、自分自身を「その程度の存在」と知らしめた。

そしてこの受賞もまた、運が良かっただけ。

事実がどうであれ、きっとヤロスラフはそう感じただろう。

これから先、秀逸な作品を作り続けなければ評価されない。そしてきっとヤロスラフには自分の書いたどの作品が秀逸なのか分からないのだ。話題性を抜きにして、今作と今までの作品の何が違うのか、分からないに違いなかった。

そうそう、と館長は笑って食事を再開する。

「乗ってきたねえ。もしかして低血圧?」

スクランブルエッグを口いっぱいに頬張りながら、館長は満足そうに左右に揺れる。

「もっと言うとね、彼は小説家の才能なんかに頓着しなかった。自分が孤高の天才であることに執着した。今回のこれで、その権威が剥がれてしまったことが何よりも耐えられなかったんだよ」

スプーンを乱雑に起き、館長はずいぶんと冷めた紅茶に手を伸ばす。角砂糖をひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。それからミルクをひと回し。もはや紅茶ではないそれを、ゆっくり時間をかけて飲み干す。

「輝かしい未来、成功に希望を抱かず、自尊心で支えられた過去にすがりついて絶望するなんてササミちゃん好みでしょう」

それにしては性急な展開だ。勢いに任せるのは、作風だけじゃなかったのか。そう言おうと思ったが、心の中で吐露するに留める。周囲の喧騒は、残されたヤロスラフの専属スタッフたちの動揺でもあるのだ。あまり好ましい話題ではないのは、今に始まったことではないのだが。

「分かってたんですか、館長」
「うーん、彼が凡庸であることには」

それにしても同行を命令してきた館長の口ぶりは、この結末を確信していたように感じる。私の言葉の裏を感じ取ったのか、館長は「僕が自殺教唆したわけじゃないよ」と不服そうに告げた。

「彼が世の中に受け入れられる作品を書く可能性はあった。その事実を彼が受け止めきれるかっていうと、まぁ僕はそう思わなかった。それだけ」

ティーカップを静かに置き、館長がひとしきり満足したのを確認してから私たちは個室に戻った。

帝国に戻り、いつもの1日がようやく始まる。