フェアラートは丘の上にある古びた洋館へと向かっていた。そこには盲目の老人と、多数の使用人が住んでいる。古びているのも外装だけで、中は豪華絢爛と言う言葉がぴったりだと言う。

主人である盲目の老紳士は予知能力があるだとか、預言者だとか、どこか胡散臭い妙な噂も絶えず、近所に住む人々は決して近付かないらしい。自由の国と言えど、こんな田舎では異国から来た異端者には少し冷たいようだ。

彼女はそんな噂を実際に耳にしつつ、いつものように黒いパンツスーツをきっちりと着こなして歩く。不釣り合いな程に赤いヒールがコツコツと音を立てる。真っ赤なヒールは地面の枯葉を何度も踏み潰す。インテリぶってかけた眼鏡は、町についた直後に粉々にしてしまった。ゆるくウェーブのかかった、金色に近いブラウンの髪をかき上げながら、フェアラートは門前にいた体格の良い男二人の目の前で立ち止まる。サングラス越しにも伝わる鋭い眼光。口元に笑みを浮かべ、彼女はそれを受け流した。

二人が彼女に近付き、念入りなボディチェックをした。男たちは獣のように怯える様子も、威嚇する様子もない。どちらかと言えば、淡々とインストールされたプログラムをこなす機械のようだ。フェアラートは特に気にする風もなく、黙ってそれを受ける。グレーの切れ長な瞳を歪ませ、悠々と笑みを浮かべた若い華奢な女が巨漢二人を見下す様は妙なものだった。

チェックが済むと、男たちはそのまま一歩下がり、フェアラートの為に道を開ける。彼女は感謝の意を述べ、ようやく錆びれた門をくぐった。そしてまた少し歩くと、玄関前に立つ使用人たちが大きな扉を開く。かなり老朽化しているのか、開くと同時に何かが軋む音がした。彼女は堂々とした足取りで進んで行く。

大きく、豪華な装飾品に着飾られた広間にいたのは多数の使用人と、杖をついて気丈に立つ老人だった。盲目を隠すように、深い闇のようなサングラスをかけている。使用人たちは皆、機械のように無表情だ。

客人を歓迎する素振りも、愛想笑いも浮かべない。誰ひとり微動だにしない。それは主人である老人も同様だった。フェアラートは周囲を見渡す。そして最後に盲目の老紳士に目を向けた。礼儀正しく一礼をし、にたりと下品な笑みを浮かべる。

「こんにちは、お会いできて嬉しいです」

ふむ、と表情を読ませることなく老人は深くうなずいた。若い女の使用人が車椅子を持ってそっと近付くと、分かっているかのように腰を降ろす。車椅子に座り込み、杖を膝の上にのせる。主人がきちんと座ったのを確認してから、車椅子を持って来た使用人はそっと老人に耳打ちした。

「誰も死んでいないのか」

驚きも何もない、平坦な声だった。フェアラートはうっすらと微笑むだけだ。グレーの瞳だけがぎらりと貪欲な輝きを見せる。老人はアゴを撫で付けながら、淡々と話し続ける。ぎしりと車椅子の車輪がきしんだ。

「人っ子一人死んでしまうと思っていた。何も残らないものだと」
「そんな理性の破片もない殺人鬼を招いたのですか」

フェアラートが微笑む。老人はアゴに手をあてたまま動きを止めた。

「いやいや、違うな。わたしは淑女をお呼びした。わたし自ら招待したのだ」
「貴方がそうおっしゃるのなら、きっとそうでしょうよ」

老いた紳士はそう言って車椅子を動かした。後ろを向こうとしたのだろう。しかし半分も回転せずに、醜い音を立てて止まってしまう。膝の上に置かれていた杖がガラガラと床に落ちる。 そのままおかしな方向を真っ直ぐに見据えながら、老人はフェアラートに話し掛けた。

「とても悩んでいる淑女だ。きっとわたし以外の人間に打ち明けたくないだろう。きっと静かな部屋で吐露したいだろう」

側にいた使用人たちが揃って車椅子に手をかける。主人に衝撃を与えないように、車椅子を慎重かつ力強く押し進める。車輪は再び軋んだ音を立てた。沢山の人間の手を借りて、老人はようやく後ろを向いた。杖を使用人に預けると、フェアラート以外の人間を下がらせる。

「奥の部屋で話そう。それがいい」
「紅茶もコーヒーも、デザートも無しに語らうのが良いでしょう」

フェアラートは立ち尽くしたまま真顔でそう付け加えた。紳士はふむ、と再び手をアゴにあてた。

「君がそう言うのなら」

そう言って、老いた紳士は車椅子を器用に動かしながら奥の書斎へ入って行く。彼が部屋へと姿を消すと、扉が自然と閉まった。フェアラートはにたりと笑いを浮かべながらゆっくりと歩き、その扉に手をかけた。

部屋には暖かな午後の陽射しが差し込んでいた。窓際から紳士は外に視線を向けている。サングラスに覆われた、機能を持たない眼球が今何をしているのかは分からない。フェアラートがパタンと扉を閉めると、紳士は口を開いた。

「さあ、用件を聞こうじゃないか」
「それよりも、まずは貴方の話です」

彼女がそう言うと、紳士は外を見たままぽつりとつぶやいた。

「わたしは嬉しい。君がこうして来てくれたこと。話を聞いてくれること。恨まれていると思った、殺されてしまうと思った、構わないと思った」

そうして老紳士は車椅子をギィギィと動かして、フェアラートと向き合った。そして書物が山積みになったテーブルを杖で指差し、イスに座るよう促した。彼女は「失礼します」を言いつつ、紳士の盲目をいいことに、テーブルの上へと腰掛ける。音で判断したのか、フェアラートが座るとほとんど同時に彼は口を開いた。

「わたしはトグリルを愚弄していた。崇拝していたのかもしれない。いや、今となってはどちらも同じことだ」
「後悔していらっしゃる?」

フェアラートがからかうようにそう口を挟むと、老紳士は明らかに気分を害したようだ。先程よりも荒い口調で言葉を続ける。

「後悔?後悔なんぞするものか。それはわたしの役目ではない。わたしは胸を張って語ろう。わたしは普通という奴が大嫌いだ。今でもだ。特別であって特別のままでいたいと思っている」
「あれは、そんなことを研究していたのですか」
「どうだろうね。結局、わたしは実験台の一つに過ぎなかったのだから。幼い君に冒涜と罵られようとも構わなかった」
「それで、夢は叶いましたか」

そう促すと、老人のまとう空気が幾分か和らいだ。と言うよりも、疲労感が身を包んだと言った方が正しいだろう。彼女の声がする方を真っ直ぐ見詰めていた彼の視線がぽとりと落ちる。

「どうだろうね」

老紳士は再びそう言ってため息をついた。

「成功だと、一部の奴らはそう言った。しかし肝心の所長は落胆していたのを覚えている。私が成功し、光を失うのを知っていたかのようだったね。本当は、失敗こそが成功だったのかもしれない」
「そうかもしれませんね」

興味が無いという顔をして、しかし人の良さそうな声でフェアラートは相槌をうった。機械のように老人は無表情を貫いている。

「彼らは人間の持って生まれた能力をいじくったのだ。整合性のあるものを、乱してしまった。結果はご覧の通り」

そう言って老人は自分の姿をまじまじと眺めた。その目を持っていないのに、と嘲笑しかけたフェアラートは冷静に口を開いた。

「不可能は可能にならない」
「そう、わたしは未だ暗闇の中だ」

奇妙な沈黙が流れた。フェアラートは自身の髪を指に巻きつけながら、じろじろと不躾に老人を見下ろしている。望んでいた程の情報が得られない。そんな予感を彼女はひしひしと感じていた。話し疲れたのか、老人は小さくため息をついてから再び「さあ、用件を聞こうじゃないか」とつぶやいた。彼の座っている車椅子が、ぎしりと音をあげた。

「では、研究所について、研究については何もご存知ないのですね」
「そうでもない。わたしは彼と仲が良かったから」

そう言うと、互いのまとう空気に変化が生まれた。老紳士は昔を懐かしむように、かすかに笑みを浮かべる。フェアラートは真剣な表情で彼を食い入るように見つめた。

「手紙には些細なことも漏らさず書いたものだ。何でも言い合えた」
「それよりも晩年のことは?ご存知ないのですか」

老人の話を遮り、再びフェアラートが口を挟む。 しかし紳士は気分を害することなく、寂しそうに声のトーンを落とした。

「悲しい最期だった。不吉で、おぞましい。彼の死で全てが終わってしまった。研究資料はあるらしいが、誰も手にしないだろう。呪われるなんて、科学者が真顔で言う程だ」
「それは素敵。科学者も怯える科学なんて。彼は何を研究していたんでしょう?どこにあるんでしょう?」
「そりゃあトグリルだ、頭の中だ。不可能を限りなく可能にすることだ。異常を限りなく正常に近付けることだ。資料の居場所は分からないな。わたしがいなくなって何年も後のことだから」

ふうん、と言って彼女はテーブルから降りる。もう潮時だと思ったのだ。話もこれ以上聞く価値は無いだろう。それに、もう限界だった。むずむずして、仕方が無いのだ。

にんまりと笑いながらフェアラートは老いぼれた科学者に近付いた。老紳士も気配に気付いたのだろう。「どうしたんだ」と機械のような口調で尋ねる。ぎらりと、グレーの瞳が輝いた。下品な笑い声をあげてフェアラートは彼の口をふさいだ。

「貴方、招き入れる人を間違えましたね?私は淑女とは程遠い、とんだアバズレですよ。理性の破片もない殺人狂ですよ。どうやら、ツテはあったみたいだけど。ああ!申し訳ないね。その役割は私のもんだ!」

恐怖に顔を歪ませるでもなく、顔を背けるでもなく、老紳士はフェアラートを真正面から見詰め続けた。

「終わらせたいのか、消し去りたいのか。そう願うお前は誰だ?」

ふさがれた口で、老人はそう尋ねた。しかしフェアラートの耳にそれは言葉として届くことは無かった。老紳士は車椅子ごと、床へ倒れ込む。その衝撃で闇のような色合いのサングラスが外れるが、老紳士の瞳からはもう何も読みとれはしなかった。

そして堂々とした足取りでフェアラートはその部屋を出た。不審顔の使用人が、開かれた扉から主の名前を呼ぶ。続くのは主の無機質な返答ではなく、無残な悲鳴だ。それが始まりの合図になった。

フェアラートは下劣な笑いを浮かべたまま、屋敷中の人間全てに挨拶をした。ありとあらゆる扉を壊し、ありとあらゆる物を壊した。ハローと言うよりも先に手を出した。足元だけが赤く彩られる。こつこつと大きな足音が響く。人っ子一人いやしない。フェアラートはまるで行進でもするかのように、悠々と玄関へ向かう。大きな扉はたった一人でも簡単に開いた。するりと門をくぐりぬけてから、ふと口を開く。ふわりとカールする前髪を指に絡めると、足は自然に止まっていた。

「しかし、彼は誰を招いていたんだろう。まるで懺悔するようだった。一体誰と私を間違えていたんだろう」

そして首にまとわりつく髪を手で払いながら、彼女は胸元のポケットから紙きれを一枚取り出した。唸り声を上げながらそれを眺め、同じく胸元のポケットに差してあった万年筆で斜線を引いていく。

「さあて、次はとうとう日本だ。ヤーパンだ。いいねえ、懐かしいよ。終の棲家はそこだと私は決めていたんだ」

にんまりとフェアラートはそう笑い、紙きれを再びポケットへと戻した。そして歩き出す。先程通った道を。彼女の赤い赤いヒールが、地面の枯葉を音も無くグシャグシャにしていた。